明日は隅田川の花火大会なのです。
まだ生の花火は見ていない。生の花火はひたちなかまでとっておくのだ。
じゃあならば隅田川をなぜ一押ししているのかというと。テレビでもやるしね。だしね。コンクールがあるでしょ?知ってるかな。全国(?)の花火師が競い合う、やつ。そこにね、毎年遠い親戚が出てるのよ。でもいっつも入賞しそうでしない、みたいな。それが楽しみだから。明日テレビで見るのだ。自分が幼少の頃にね。その遠い親戚の家に行って、「花火ちょーだーい」ってって。手持ち花火を頂いたりして。それを自宅に持ち帰って、花火を、やる、みたいな。それが保坂家の風物詩だったりして。そんな一家団欒を想い出すにもいい機会なので。ね。
では。
振り返ろう。
フェスを。
【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2005】
自分から10年間を振り返るといいつつも。10年というものが、これほどまでに濃密で、長い期間であったことを、身に染みているのであります。このブログで。はい。
この年から、ライブステージが三つになりましたね。サウンド・オブ・フォレスト。これはかなり革命的な出来事でした。ステージが増えるということが少しずつ話題になったときに、「どこに創るの?」という素朴な疑問がわき起こってきて。したら、「森のところに、創る」ってなって。すげぇなぁって感じたことを想い出します。それと、当初、あそこに、DJ BOOTHを移そうかい?みたいな話も出たとか出ないとか、そういう噂もあって。ちょっとどきどきわくわくしていたのです。でも、変わらずDJ BOOTHは場所を変えない。それがとても嬉しいことでもあります。あの場所。グラスの入り口にあってこそのDJ BOOTHなのです。この感じ、わかるかなぁ?わかってほしいなぁ…。
DJ BOOTHは、この年は、戦場であったのです。何故か。それは、お笑い芸人の登場がそうさせたのであります。知っている人は知っている。知らない人は全然知らないこと。実は、私達、レジデントの3人衆は、DJをやっているだけではなくてね。毎日ね。裏方とまでは言えないけれど、ゲストのDJ様たちを紹介したり、何かトラブルがあったときに対応するように、手分けして準備していたりするのです。これは未だにやってます。だから大変なのです。でもって、この年が、戦場だった理由を改めて。芸人さんがDJ BOOTHに出るということになり。何が戦場だったかというと、我々、DJですが、喋るDJじゃないのに、芸人さんの呼び込みという役を仰せつかってしまったのです。「●●さん、どうぞ〜!」的な。これが大変で。だって、司会者じゃないし。ネタとネタの間の話術で場繋ぎなんて出来るわけ無いのにやったのです。さらに、芸人さんの出ばやし。知ってます?出ばやし。わかりやすく言うと、M-1グランプリでの、あの、「ヒズゴゴゴゴゴゴー!!」的な。あの曲が流れると芸人さんが出てくるという。そういう音のことを出ばやしという(ちなみにあの曲はファットボーイスリムなんです。余談)。それをですよ。我々レジデントが選んでかけていたんです。芸人さん持ち込みじゃなくて。「なんか、出ばやしっぽくて、ロックっぽいのお願いします」って言われて。そんなことやりつつ、司会業をこなす。さらに、DJをやるという。戦場の何物でもないばったばたの現場でした。今想い出しても汗が滝のように、脇からしたたり落ちますよ。
そうそう。この芸人さんの登場って、全てがそう、とはいわないけど、後の、現在の、LIVE STANDへの架け橋になっていたのですよ。そう考えると凄いよね。あの場での芸人さんのパフォーマンスがあってこそ、オールスタンディングでのお笑いの祭典が産まれるヒントがあったという。全ての原点があそこにあったとまでは言わないですけれど、そのひとつの場になっていたという、DJ BOOTHにて躍動させてもらっているというのは、ほんと、感謝の一言です。
てな感じで、芸人さんネタだけで、この年を振り返るのを終わってしまいそうな勢い。ですが。他の個人的なトピックを上げるとすると、RYUKYU DISCOかなぁ。後に、普通のステージでライブパフォーマンスをやってますが、彼らのパフォーマンスは最高でしたね。DJ BOOTHでの。くる〜!って感じで。琉球音楽とテクノの融合は、やってそうで誰もしていなかったということも含めて。あの灼熱の場で、とっても映えたのであります。
本当は、事細かく想い出せば、もっともっと、出てくるはずなんですがね。こういうタイミングで、この場所で、書くことで、ぱっと想い出すことを、その勢いでつらつら書く事自体に意味があると思っているので。詳細調べれば、フェス増刊号を開けばいいことですがね。それはちがーう。ということで。2005年を振り返るはこれにて。おしまい!
2010/07/30
ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2004
とうとう、RIJFES開催まで、後、1週間ですわ。
早いっす。
この1週間前となると、色々と、そわそわしてくるんですよ。
どっきどき。
あー、フジロックいきてー。
はい。
振り返ります。
つーか。
1週間で、後、6年間を振り返れるのか?俺。
【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2004】
この年にて初めて、三日間のチケットがソールドアウトだという。その事実がこのフェスの規模感が最大限に膨れ上がった証明であるということだと思います。それに同調するかのように、DJ BOOTHも基盤が出来たというよりも、次に繋がる様々な布石が生まれ、3人体制となったレジデントも盤石になりつつあったという年ではないでしょうか。ほんと。年を重ねるごとに、ブースのキャパシティも増えていき。認知度もかなりの上昇気流に乗っていたと記憶しています。
そうそう。この年から、昨年ちょろっと出演があった、お笑いのステージが、三日間通して、開陳されたんですよね。その中で、あの、ダイノジがネタをやる芸人として初出演しているんですよ。まだDJではないのです。僕の記憶が確かならば、オオチくんがエアギターをやったりやったりしてたような気がする。こちらのタイムテーブルをごらんあれ。
あとね。個人的な衝撃度でいうと。僕達が年を重ねて積み上げてきた場所に、DISCO TWINSと、FPMの田中さんが出演したという事実がとてつもなく感慨深い思いになったことを思い出します。ロックのフェス。日本のロック中心のフェス。そこにおいて、それらの音楽をかけまくるDJが成り立つということになった磁場に、テクノ、ハウスのDJが参戦してくれたということ。招く立場である僕にとってもなんとも嬉しい事実であり、最高のパフォーマンスを浴びた瞬間でした。
さらにこの年には、COUNTDOWN JAPAN 03/04が行われた年であって。冬フェスへのチャレンジとその勢いももって夏に挑んだということもあり、さらなる飛躍を求められるであろうという自負と責任感も更に芽生えてきたと思います。ある意味、というか、どの年のフェスも、ターニングポイントになっているかと思うけど、この年が一番ターニングポイントになったのではないかと。来年以降ライブステージがひとつ増えるということや、チケットのソールドアウトが当たり前のようになるフェスの第一歩がこの年であったし。
なんともかんとも。感慨深い。
早いっす。
この1週間前となると、色々と、そわそわしてくるんですよ。
どっきどき。
あー、フジロックいきてー。
はい。
振り返ります。
つーか。
1週間で、後、6年間を振り返れるのか?俺。
【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2004】
この年にて初めて、三日間のチケットがソールドアウトだという。その事実がこのフェスの規模感が最大限に膨れ上がった証明であるということだと思います。それに同調するかのように、DJ BOOTHも基盤が出来たというよりも、次に繋がる様々な布石が生まれ、3人体制となったレジデントも盤石になりつつあったという年ではないでしょうか。ほんと。年を重ねるごとに、ブースのキャパシティも増えていき。認知度もかなりの上昇気流に乗っていたと記憶しています。
そうそう。この年から、昨年ちょろっと出演があった、お笑いのステージが、三日間通して、開陳されたんですよね。その中で、あの、ダイノジがネタをやる芸人として初出演しているんですよ。まだDJではないのです。僕の記憶が確かならば、オオチくんがエアギターをやったりやったりしてたような気がする。こちらのタイムテーブルをごらんあれ。
あとね。個人的な衝撃度でいうと。僕達が年を重ねて積み上げてきた場所に、DISCO TWINSと、FPMの田中さんが出演したという事実がとてつもなく感慨深い思いになったことを思い出します。ロックのフェス。日本のロック中心のフェス。そこにおいて、それらの音楽をかけまくるDJが成り立つということになった磁場に、テクノ、ハウスのDJが参戦してくれたということ。招く立場である僕にとってもなんとも嬉しい事実であり、最高のパフォーマンスを浴びた瞬間でした。
さらにこの年には、COUNTDOWN JAPAN 03/04が行われた年であって。冬フェスへのチャレンジとその勢いももって夏に挑んだということもあり、さらなる飛躍を求められるであろうという自負と責任感も更に芽生えてきたと思います。ある意味、というか、どの年のフェスも、ターニングポイントになっているかと思うけど、この年が一番ターニングポイントになったのではないかと。来年以降ライブステージがひとつ増えるということや、チケットのソールドアウトが当たり前のようになるフェスの第一歩がこの年であったし。
なんともかんとも。感慨深い。
2010/07/22
ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2003
つくばロックフェス、終わりました。
丸二日間。有り得ないくらいの晴天で。厚すぎて熱すぎて。もろに直射日光を浴びながらのDJはかなりしんどい感じでしたが、とにかく晴天であったことと、とにかく、素晴らしい音楽が鳴り響いていたこと。とても快適な森でした。
去年と比べてとかそういうのは多分いらない言葉だと思うのです。伊香賀守という男が体を張って、足を稼いで、魂をぶつけて、開催した、つくばでの二回目の野外フェス。それにともなって、様々なアーティスト、素敵なスタッフ、素晴らしいオーディエンスが集った。そこで産まれた音楽は、決して二度と再現が出来ないもの。それはどこのフェスでも同じことだけど、だからこそ、その場に行って、体感することはとても大切な音楽体験になる。うん万人というフェスが素晴らしいとか、世間的に認知されているアーティストが出演するのが素晴らしいとか、そういう尺度では、計れないものが、昨今のフェス事情には産まれてきていると思う。その一端となっているのは事実であり、数ある中のひとつなのかもしれないけれど、もしあなたが、つくばを選んだ人ならば、それはあなたの中で、最高の音楽体験になったはず。を提供する側は、あなたという人たちが、ひとりずつ、ひとつずつ、大切なものを感じてくれることに感謝するから。そんなフェスのいち、DJとして、二年連続参加したことを誇りに思います。
つーわけで。
恒例の企画。
ジャパンフェスのDJを振り返りマース。
【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2003】
個人的には、3年目となる年でしたね。この年から、前田君が加わり、3DJでのレジデントとなるという。今の体制の初年度になるということでした。片平君と試行錯誤した場所に、新たに前田君が加わると言うことで。規模感が大きくなるということを証明している事実で。また再度、チャレンジしていくべく道が開けた年でありました。
ちなみに、超個人的な話になるんですが、この年は、100sの小野眞一がゲストDJで出演。彼がとてつもなく泥酔したという逸話は有名な話しで。これを機に、「小野眞一泥酔DJ」というものが確立し、後のアルコホリデイへの布石になったということなんでろうなと思うわけであります。
こちらのタイムテーブルを改めて見ると。いい意味で、ゲストDJも含めて、来年以降、または、年末フェスが開催されるということも含めての、色々な布石、試行錯誤が含まれていたんだなって思います。フェス恒例のハヤシ君DJや、曽我部さんもいるし。お笑い芸人が出てたりしてるんでね。この年はある意味ターニングポイントだったのかなって、思います。
うーん。なんだかんだいいながら。10年を振り返るのは結構大変ですなーと今になって思い始めた俺。やばいかも。なんか思い出せないかな。。。。
そうそう。
こちらを御覧あれです。当時のラジオ番組で片平君と語ったのです。その際のセルフレポートであります。これを読むと、やたら、「熱い!」という言葉を感じますな。それだけ興奮していたということでありますな。
まだまだ続く。。。。
丸二日間。有り得ないくらいの晴天で。厚すぎて熱すぎて。もろに直射日光を浴びながらのDJはかなりしんどい感じでしたが、とにかく晴天であったことと、とにかく、素晴らしい音楽が鳴り響いていたこと。とても快適な森でした。
去年と比べてとかそういうのは多分いらない言葉だと思うのです。伊香賀守という男が体を張って、足を稼いで、魂をぶつけて、開催した、つくばでの二回目の野外フェス。それにともなって、様々なアーティスト、素敵なスタッフ、素晴らしいオーディエンスが集った。そこで産まれた音楽は、決して二度と再現が出来ないもの。それはどこのフェスでも同じことだけど、だからこそ、その場に行って、体感することはとても大切な音楽体験になる。うん万人というフェスが素晴らしいとか、世間的に認知されているアーティストが出演するのが素晴らしいとか、そういう尺度では、計れないものが、昨今のフェス事情には産まれてきていると思う。その一端となっているのは事実であり、数ある中のひとつなのかもしれないけれど、もしあなたが、つくばを選んだ人ならば、それはあなたの中で、最高の音楽体験になったはず。を提供する側は、あなたという人たちが、ひとりずつ、ひとつずつ、大切なものを感じてくれることに感謝するから。そんなフェスのいち、DJとして、二年連続参加したことを誇りに思います。
つーわけで。
恒例の企画。
ジャパンフェスのDJを振り返りマース。
【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2003】
個人的には、3年目となる年でしたね。この年から、前田君が加わり、3DJでのレジデントとなるという。今の体制の初年度になるということでした。片平君と試行錯誤した場所に、新たに前田君が加わると言うことで。規模感が大きくなるということを証明している事実で。また再度、チャレンジしていくべく道が開けた年でありました。
ちなみに、超個人的な話になるんですが、この年は、100sの小野眞一がゲストDJで出演。彼がとてつもなく泥酔したという逸話は有名な話しで。これを機に、「小野眞一泥酔DJ」というものが確立し、後のアルコホリデイへの布石になったということなんでろうなと思うわけであります。
こちらのタイムテーブルを改めて見ると。いい意味で、ゲストDJも含めて、来年以降、または、年末フェスが開催されるということも含めての、色々な布石、試行錯誤が含まれていたんだなって思います。フェス恒例のハヤシ君DJや、曽我部さんもいるし。お笑い芸人が出てたりしてるんでね。この年はある意味ターニングポイントだったのかなって、思います。
うーん。なんだかんだいいながら。10年を振り返るのは結構大変ですなーと今になって思い始めた俺。やばいかも。なんか思い出せないかな。。。。
そうそう。
こちらを御覧あれです。当時のラジオ番組で片平君と語ったのです。その際のセルフレポートであります。これを読むと、やたら、「熱い!」という言葉を感じますな。それだけ興奮していたということでありますな。
まだまだ続く。。。。
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