2013/11/19

今日は誕生日だったわけで。


 そうなんです。

 今日は自分の誕生日だったわけで。

 11月19日0時0分産まれ。

 これ、ほんと。

 母ちゃん、曰く、産まれた瞬間というか、時報が鳴った瞬間をまたいで俺が産まれたので、看護婦さんに、“産まれた日は、18日にしますか?19日にしますか?”と聞かれたという。そりゃあね。18日にしたら、18日23:59:59、生誕、になるわけだから。キリが悪いってことで、19日にしてくれたらしいのですよ。
 まあ、4Kg越えの巨大児だったというのもあり。“あんたを産んだとき、出血多量で死にかけたんだから”って。未だに言われるのでありまして。難産だったと。“だから未だにあんたには苦労かけられっぱなしよ”ということを言われる大人でありますが。ここまでくると、もう、俺おめでとう!というよりも。保坂の誕生日、というよりも。母ちゃんご苦労様の日、みたいな。“壮彦を産んだ記念日”という名前に変えて、母ちゃんを労ってやるべきかなって考え始めていますです。

 そうはいいつつも、なんだかんだで、おめでとうと言われると嬉しいことは、やっぱり、何歳になっても変わらないんだなって思いました。しかし、中身はなんだかんだで変わっていないんですよね。体感として。当たり前のように少しずつ老けて行っているのは言うまでも無いのですが。中二病じゃないけれど。どこかで自分の生き方といか生き様というか。そういうのが止まっているような気がしてならないのです。それが何歳のころから?と聞かれるても。具体的には思い出せないけれど。なんとなく、ふわっと思えるのは、30歳くらいで止まっているような気がします。

 20歳を過ぎても、大人としてなんか中途半端だよなって思ったし。20代中盤を過ぎても、まだまだ青二才だよなって思っていたから。30歳過ぎれば、みんなが言うところの「大人」になれるんかなぁって思い続けていたら、それもいつの間にか過ぎ去っていって。40歳を超えたときは、“とうとう来たか〜”ってな感じで。やれ、前厄だ〜の、本厄だ〜の、後厄だ〜の。で。不吉なことを言われ続けて。自分としても歯車がかみ合わないようなことも多々あったし。それに、こんな大人が本当の大人なのか?間違っているのか合っているのかわからないまま。そんな感じでここまで来てしまったというのが率直な感想。

 それでも、一番顕著なのは、身体っすね。年取りましたね。やばいっすね。元々、幼少期は暴れん坊で、外を走り回っていたやんちゃ坊主だったし。小中って野球少年でもあったし。足も速かったし。パック転も出来たし。50mを6秒前半で走り抜けたし。高校生の時も……。いや。高校に入ってからはもう、音楽でしたらね。それでもね。ギタリストでもボーカリストでもベーシストでもなく。いやいや始めたドラマーということで。長年、身体を動かしていたから。20代中盤までは、身体を駆使していたということなんですよね。結局、バンド活動辞めてから、趣味でも身体を動かすことが無くなったという。それからずっとそんな感じですから。そりゃ、それから着実に少しずつ体重も増えるわ。筋力を落ちるってもんですよね。

 かといって、じゃあ、ウォーキングしようか。とか。走ろうかとか。そういうのも踏ん切りがつかない。ならば、ジムにでも通えよとか、水泳でもやればとか。そういうのもわかるけど、意味の無いスポーツがダメで。身体を動かすこと自体、意味のあることなんだけど。その身体を動かすことの目標が欲しくて。とかいいながら、動かせば、身体はうきうきして絞れるわけだから、それこそが目標なんだろうけど。それも違うんですよね。何かわからないけれど。何かをやりたくて。そのやりたいことが身体を動かすことに繋がって。たのしいから身体動かして。結果的に、“スポーツやってま〜す”みたいな。そんなことになりたいなって思いながら、もう何年経っているんだろう。。。

 ま。なにはともあれ。こうやって、ただ、つらつらと文章を書くことが出来たのも。久しぶりにブログを更新し続けられたのも、誕生日のおかげで。あとは、俺の怠惰なものの考え方?のおかかげということで、ロクデナシな、俺、おめでとう、ということで。ということにしておきましょうかね。

 おめでとう!伝えてくれたみなさま、ありがとうございました!



 生まれたからには、生きてやる!







 

2013/11/17

伝えたい。



 いろいろとたまってきました。

 それは、今に始まったことじゃないけれど。

 たまったものを出さないと、新陳代謝が行われないので。

 出したくなってきた。

 人間という生き物としての自然の摂理。

 喰ったり手に入れたりしたものはいつかは手放す必要がある。


 伝えることで何かを変えたいという使命ではなくて。


 与え与え合うことで世の中が回っていくように。

 そのサークルの中に入っている生き物として。

 エゴや金や利権で奪い合うということではなく。

 傷を舐め合って怠惰する繋がりに安堵するわけでもなくて。


 自分が自分であることを証明したいのかも知れない。


 何がそうさせているのかわからないけれど。

 自分の中に溜に溜め込んできたものが溢れてきているのです。

 でも何を?と聞かれると、やはり、上手く言えない。



 音楽に携わることが多い人間なので。

 音楽の何かを伝えることなのかも知れない。

 言葉を使って文章を書くこともあるので。

 言葉の力で何かを伝えることなのかも知れない。

 写真を撮ったりしているから。

 写真で何かを伝えることなのかも知れない。

 今は気付いていないこともある人間であるからして。

 まったく予想していない、何か、で、伝えるのかも知れない。

  
 手段は後からついてくる。

 とにかく、伝えたいという心の叫びがとまらないのです。


 伝えるということは。

 別にこんなにも大袈裟に宣言することではないとも思うのですが。


 伝えたい、ということを、伝えたくて。


 うん。


 きっとそれだ。

 
 伝えたい、ということを、伝えたいと、伝えたことで。

 「何を?」が見えてくるような気がして。

 そういうことだと思います。

 きっとそういうことなんだろうと思います。