2013/12/29

「COUNTDOWN JAPAN 13/14」に向けて。





明日になりました。



「COUNTDOWN JAPAN 13/14」出演。



DJをやらせてもらっている人間として。

幕張メッセのあのステージに上がらせて頂けるということは。

もう何にも代えがたいものであります。

あんなにでっかいステージの上で。

でっかい音で。

みんなと音楽を共有出来ることなんて。

他にはありません。

心から感謝の気持ちでいっぱいです。



CDJは第1回の「03/04」から数えると、10回目の出演になります。

DJブースと呼ばれていたころ。

RIJと同様、最初は小さなスペースでした。

レジデントDJとして連日のように出演し。

それが、夏と冬が連動するかのように、年々大きなステージになり。

アストロアリーナという。

とてつもないスペースでDJをやらせて頂けることになったと言うことです。



今年は、30日のみの出演。

1回目は、12時から。

2回目は、21時から。

やります。


出演日数と持ち時間は少なくなりましたが。

やることは一緒です。

アストロアリーナに来てくれる人、来れなかった人も含めて。

全力で音楽と向き合って。

保坂壮彦から音楽を解き放って。

みんなと音楽で多幸感を分かち合うことです。


と。

例年ながら。

いつも、毎年、同じようなことを言っていますが。



ひとつだけ。



今年は、例年と違う気持ちがあります。



“音楽の自由度を広げたい”



その思いで、いっぱいです。


アストロアリーナは、数年前のように。

朝から晩まで。

“音が途切れることがない場所”ではなくなりました。

その代わり、様々なアーティストのライブアクトが増えました。

それによって、オーディエンスが新しいアーティスト。

新しい音楽に出逢える、感じる、機会が、増えました。

それは素晴らしいことだと思います。

もしかしたら。

“アストロアリーナはDJだけがいい!”って言う人もいるかもしれません。

“フェスはオーディエンスが創り上げるものだ”という人もいるかもしれません。

しかし。

それは、合っているようで、合っていないのでしょう。



フェスを創り上げる人達が、試行錯誤し。

2013年。

年末。

今、ここで、音楽を鳴らして欲しいアーティスト。

鳴らすべく場所や趣向に試行錯誤しつつ。

それには、今、ここやそこにいる、あなたやぼく。

オーディエンスの求めるものを、心の底から考え、考え。。。

創り手側と受け手側を、客観的になるべく、見つめ続け。

フェスを創り上げているのです。


もし、僕やあなたが、自分の力で自分の好みだけでフェスを創るなら。

全く違ったブッキングや場所や雰囲気になるでしょう。

当たり前のことだと思いますが。

その、当たり前のことを、当たり前だと感じられるように。

なって欲しいなって。

強く思っています。

そこに必要なのは。



“音楽の自由度を広げたい”



という僕の思いに繋がる感情です。

CDJは、いつだって音楽の自由度を広げて来たと思います。

僕がずっとDJをやらせて頂いているのもその自由度のひとつだと。

強く、強く、感じています。






明日、ステージに上がって。

そこから見える景色を感じて。

みんなの顔や姿や笑顔や熱狂を感じながら。

音楽を鳴らします。

それをロックというなら、ロックとしてください。

それをポップス、歌謡曲、というなら、そうしてください。


僕は、ただの音楽好きの、DJです。

音楽を借りて、音を出すだけの人間です。

流すものは、鳴らすものは、全て、音楽です。

ジャンルなんか関係無い。


みんなが本当に、本物だ、と感じてもらえる音楽を。

ぼくが本当に、本物だ、と思っている音楽を。

届けることに全力投球します。





2013年も色々ありました。

いいこともわるいことも。

それが、2014年になったら。

全てリセットされるわけでありません。

今日という日はずっと続いていきます。

でも、そんな日々の中で。

音楽で自由になれる瞬間があってもいいって。




“自由になれた!”って。




“音楽は最高だ!”って。




そう感じてもらいたいです。

バカ騒ぎしてもいい。

斜に構えておとなしくしていてもいい。

心で踊ってもらってくれてもいい。



これからの日々のために。

感情が揺さぶられた瞬間を刻めることが出来るように。




私。



保坂壮彦。



明日。



DJ保坂壮彦、を、やります。



みなさんと逢えることを楽しみにしています。









2013/12/28

「COUNTDOWN JAPAN 13/14」出演決定!







DJ保坂壮彦

COUNTDOWN JAPAN 13/14

2013年12月30日(月)


出演決定しました!


音楽の鳴る


あの場所で


みなさんと


また会える


新たに出会えることに


感謝です!


宜しくお願い申し上げます!







2013/12/19

来年も良い年になりますように。


この国のクリスマスソングはラブソングに偏りすぎなんです。



異国の風習を取り入れてしまった時点で。

どこかの誰かが、色恋沙汰に利用して、そうなってしまっただけであって。




ジョンレノンの名曲「Happy Christmas (War Is Over)」と同様で。


年の瀬に。


今年も色々あったけど。


来年も笑顔で、いいことあるといいね、って。





“Happy New Year!”


と言えることが素敵なんですよ。


そこには、希望がある。



最高。













2013/12/09

音楽と言葉が溢れる。





 日々過ごしていると色んな景色や場面や人と出くわす。

 そんなとき、色んな音楽や言葉が溢れ出してくる。



 不思議なもんです。




 初めて会った人と会話をしているとき。

 その人の話を聞きながらも。

 頭と心の中で「この人は本当はこういう人なんだろうなぁ」って妄想する自分がいる。


 そういう時に、自分の中にストックされている音楽と言葉が溢れ出てくる。



 これってどういう現象なんだろうかね。



 初対面の人もそうだし。

 久しぶりに会う人に対してもそう。


 表面的に会話をしている自分の奥底にいるもう1人の俺が相手を分析している。

 分析というか、感じながら、会話をしているという感覚。


 「この人はなんか苦労しているよなぁ」とか。
 「久しぶりにあったけど、いきいきしてるよなぁ」とか。


 そう感じながら、色んな音楽が頭の中に鳴り響く。
 色んな言葉が零れ落ちてくる。



 溢れるものを、その場で言うわけでは無いです。

 もしいきなり溢れたものを伝えたら俺は変人扱いされてしまうだろうし。



 景色や場面もそうです。


 人と違って会話をしているわけではないけれど。


 目に映る景色は、決して固定されていないからね。

 生きているし、動いているし。


 人と同じなのかな。



 そうそう。




  DJ、とか、ライターとか。

 そんな肩書きをつけているのでありますが。

 ほんとうは、インタビュアーという肩書きを真っ先に、堂々と伝えたいのです。



 アーティストへのインタビューというものは、ライブ感があって。

 さらに、その人と会話していると、さらに音楽や言葉がぐるぐる巡るのです。




 音楽にかかわらず。

 人ならば誰でも。

 会話をして、感じて、言葉に記し、読み手に伝える役割。



 DJでも、ライティングでも、そういう役割はあると思っているけど。


 インタビューは面白い。



 ともかく、なににつけても、音の楽しさと言の葉が溢れるということ。



 染みついています。


 無意識で。






 

2013/12/08

ほんとうとほんものはなんなのか。







 ほんとうはなんなのか。



 そういう問いが、いつも自分にやってくる。



 ほんものはなんなのか。



 同じように、この問いも、常々、自分にやってくる。




 ほんとうも、ほんものも、自分が決めることだってことは知っている。

 しかし、見失うことが多々ある。


 誰かの声や顔色や情報に振り回されてしまうのだろう。

 知っているはずの心や言葉にへばりついた垢のせいで見えなくなっているんだろう。



 知っている。


 でも、ほんとうと、ほんもののことを、ふとしたときに、考える。


 でも、もう、考えるのは、やめようと、決めた。


 だって、わかっているんだから。


 わかっていることを、忘れてしまって、ほんとうとほんものを探してしまうのだ。




 季節は師走。



 1年の中でも一番せわしない日々が続く。

 だからこそ立ち止まることも必要だけれども。

 動き続けることで得れることの方が多いと思う。



 だって、すでに、ほんとうもほんものも知っているはずなのだから。

 動いて、会って、喋って、とか。

 こういう場所で言葉で書いて、とか。

 そのフィードバックで、あるはずの、ほんとうとほんものが湧き出てくる。

 気づき思い出す。



 新たな出会いに、ほんとうとほんものを見つけることも沢山ある。





 どうせ、100年もない人生なんだから。


 何億年の自然の歴史に比べれば、ちっぽけな期間だしね。


 だったらどーでもいーやと思うこともあるだろうが。

 逆に、だったら、もったいないじゃん、って思うようにする。


 何が出来るかわからないけれど。



 ほんとうとほんもの。



 それを知り、感じ、掴み、得ること。


 それは感動に繋がるし。

 ワクワクを歓喜させられるし。




 結局は楽しい日々を送れるようになれるんだから。






 そんなことをふと思ってみた日曜の夜。






 

2013/11/19

今日は誕生日だったわけで。


 そうなんです。

 今日は自分の誕生日だったわけで。

 11月19日0時0分産まれ。

 これ、ほんと。

 母ちゃん、曰く、産まれた瞬間というか、時報が鳴った瞬間をまたいで俺が産まれたので、看護婦さんに、“産まれた日は、18日にしますか?19日にしますか?”と聞かれたという。そりゃあね。18日にしたら、18日23:59:59、生誕、になるわけだから。キリが悪いってことで、19日にしてくれたらしいのですよ。
 まあ、4Kg越えの巨大児だったというのもあり。“あんたを産んだとき、出血多量で死にかけたんだから”って。未だに言われるのでありまして。難産だったと。“だから未だにあんたには苦労かけられっぱなしよ”ということを言われる大人でありますが。ここまでくると、もう、俺おめでとう!というよりも。保坂の誕生日、というよりも。母ちゃんご苦労様の日、みたいな。“壮彦を産んだ記念日”という名前に変えて、母ちゃんを労ってやるべきかなって考え始めていますです。

 そうはいいつつも、なんだかんだで、おめでとうと言われると嬉しいことは、やっぱり、何歳になっても変わらないんだなって思いました。しかし、中身はなんだかんだで変わっていないんですよね。体感として。当たり前のように少しずつ老けて行っているのは言うまでも無いのですが。中二病じゃないけれど。どこかで自分の生き方といか生き様というか。そういうのが止まっているような気がしてならないのです。それが何歳のころから?と聞かれるても。具体的には思い出せないけれど。なんとなく、ふわっと思えるのは、30歳くらいで止まっているような気がします。

 20歳を過ぎても、大人としてなんか中途半端だよなって思ったし。20代中盤を過ぎても、まだまだ青二才だよなって思っていたから。30歳過ぎれば、みんなが言うところの「大人」になれるんかなぁって思い続けていたら、それもいつの間にか過ぎ去っていって。40歳を超えたときは、“とうとう来たか〜”ってな感じで。やれ、前厄だ〜の、本厄だ〜の、後厄だ〜の。で。不吉なことを言われ続けて。自分としても歯車がかみ合わないようなことも多々あったし。それに、こんな大人が本当の大人なのか?間違っているのか合っているのかわからないまま。そんな感じでここまで来てしまったというのが率直な感想。

 それでも、一番顕著なのは、身体っすね。年取りましたね。やばいっすね。元々、幼少期は暴れん坊で、外を走り回っていたやんちゃ坊主だったし。小中って野球少年でもあったし。足も速かったし。パック転も出来たし。50mを6秒前半で走り抜けたし。高校生の時も……。いや。高校に入ってからはもう、音楽でしたらね。それでもね。ギタリストでもボーカリストでもベーシストでもなく。いやいや始めたドラマーということで。長年、身体を動かしていたから。20代中盤までは、身体を駆使していたということなんですよね。結局、バンド活動辞めてから、趣味でも身体を動かすことが無くなったという。それからずっとそんな感じですから。そりゃ、それから着実に少しずつ体重も増えるわ。筋力を落ちるってもんですよね。

 かといって、じゃあ、ウォーキングしようか。とか。走ろうかとか。そういうのも踏ん切りがつかない。ならば、ジムにでも通えよとか、水泳でもやればとか。そういうのもわかるけど、意味の無いスポーツがダメで。身体を動かすこと自体、意味のあることなんだけど。その身体を動かすことの目標が欲しくて。とかいいながら、動かせば、身体はうきうきして絞れるわけだから、それこそが目標なんだろうけど。それも違うんですよね。何かわからないけれど。何かをやりたくて。そのやりたいことが身体を動かすことに繋がって。たのしいから身体動かして。結果的に、“スポーツやってま〜す”みたいな。そんなことになりたいなって思いながら、もう何年経っているんだろう。。。

 ま。なにはともあれ。こうやって、ただ、つらつらと文章を書くことが出来たのも。久しぶりにブログを更新し続けられたのも、誕生日のおかげで。あとは、俺の怠惰なものの考え方?のおかかげということで、ロクデナシな、俺、おめでとう、ということで。ということにしておきましょうかね。

 おめでとう!伝えてくれたみなさま、ありがとうございました!



 生まれたからには、生きてやる!







 

2013/11/17

伝えたい。



 いろいろとたまってきました。

 それは、今に始まったことじゃないけれど。

 たまったものを出さないと、新陳代謝が行われないので。

 出したくなってきた。

 人間という生き物としての自然の摂理。

 喰ったり手に入れたりしたものはいつかは手放す必要がある。


 伝えることで何かを変えたいという使命ではなくて。


 与え与え合うことで世の中が回っていくように。

 そのサークルの中に入っている生き物として。

 エゴや金や利権で奪い合うということではなく。

 傷を舐め合って怠惰する繋がりに安堵するわけでもなくて。


 自分が自分であることを証明したいのかも知れない。


 何がそうさせているのかわからないけれど。

 自分の中に溜に溜め込んできたものが溢れてきているのです。

 でも何を?と聞かれると、やはり、上手く言えない。



 音楽に携わることが多い人間なので。

 音楽の何かを伝えることなのかも知れない。

 言葉を使って文章を書くこともあるので。

 言葉の力で何かを伝えることなのかも知れない。

 写真を撮ったりしているから。

 写真で何かを伝えることなのかも知れない。

 今は気付いていないこともある人間であるからして。

 まったく予想していない、何か、で、伝えるのかも知れない。

  
 手段は後からついてくる。

 とにかく、伝えたいという心の叫びがとまらないのです。


 伝えるということは。

 別にこんなにも大袈裟に宣言することではないとも思うのですが。


 伝えたい、ということを、伝えたくて。


 うん。


 きっとそれだ。

 
 伝えたい、ということを、伝えたいと、伝えたことで。

 「何を?」が見えてくるような気がして。

 そういうことだと思います。

 きっとそういうことなんだろうと思います。