2012/01/20

『音楽』〜“言葉とリズム”



 いやぁ。自分で撒いた種だから、書き続けよう。『音楽』というものにぶつかって砕けて、自己内革命が起きてしまった数日前。その時に溢れかえったものを、言葉にするという日記だ。

 “言葉とリズム”

 僕は馬鹿だからというか、腑に落ちないことがあるととことん突き詰めないと気が済まない性分だから、昔っからずっと、音楽を聴きながらも、ずっとずっと、「『音楽』ってなんでこの世の中にあるんでしょうかね?」という問いをずっと抱えて生きてきたのです。それなりの文献や知識人からの教えを頂き解釈し続けて来て今日に至るわけです。

 そんなことを突き詰めると、人間が言葉を覚える前から音楽たりえるものは存在していたということを知るわけです。とはいいつつも、僕は天の邪鬼で、特に歴史上の事実。その時に生きていた人が本当に体験したという事実以外は全て本当と思えない性分で。嘘か真かは定かではないと言う、斜に構えた考えのもと、とにかく、音楽は言葉よりも前に存在していたと。そう結論づけています。

 人間がどうこの世に自然界に生まれ落ちたかは知らないっす。そこまでは知らないっす。僕は無神論者であり特定の宗教を崇め奉る人間では無いし、かといって、ダーウィンの進化論を信じる科学的な人間でもないから。でも、想像するに、人間は、四足歩行から二足歩行になって、モノを使うことを覚え、火をおこすとか。それなりに進化はしたみたいだろうと。その中で、同種の人間同士でコミュニケーションを取るのに生まれたのが、ビートだと。モノを叩く行為だと、思うのです。それが『音楽』の始まりだと思うのです。

 世界を見渡しても、必ずどこの種族でも、祝祭や葬祭には必ずリズム、ビート、太鼓ありき。そこに踊る人がいる。そこから人は音と戯れることが必要不可欠となったと。それが、神聖なるモノなのかどうかは解りませんが、とにかく人と人を繋げ、目に見えぬなにかと意思疎通するために『音楽』は生まれたのではと。その後に、人間は、この世界中のどの動物よりも高度な脳を持ってしまったが故に、言葉、というものを会得したのではないかと、解釈しています。なので、僕の中では、新しい『音楽』を聴く時には必ず、ビートを感じます。その後、身体や心が躍り出すか?によって、本物かどうかを感じ分けます。その後に、言葉が乗っかったメロディーを感じます。近代以降に確立されたといわれるメロディーを、です。なので、邦楽だろうが洋楽だろうがどんなジャンルだろうが、関係無い。『音楽』には、と。そういうものが染みついているのです。『音楽』は言語の壁を越える、と。国境を越える、と。それは、今でも間違っていないと思っています。そう、間違っていない。でもなんでそう思ったのだろうか。そういう自問自答が急に襲ってきて。どうしようと…。そんなタイミングで、自ら解決出来たのが、その、間違っていないという核心を得たのがここ最近なのです。

 先日の日記でも触れた、「上を向いて歩こう」という本でも著者、佐藤剛氏が触れていましたが、世界には無数の国があり、無数の母国語があります。僕らは日本人で日本語を覚え、日本語で喋っています。これ、当たり前。で。その喋っているという行為の前に、僕らは日本語を聴いて育ったから、喋れるようになったということを忘れがちというか、僕は、その見方に気づかなかったのです。

 日本語は母音が主音の言語なんですよね。「あ・い・う・え・お」って。でも、例えば、英語は子音が多分に含まれている言語なんですよね。日本語にはあまりない、子音。例えるならば、“シュ”とか“スッ”とか。ネイティブの英語を物まねして、ふざけて喋るあの感じね。「コーヒー」じゃなくて「カッフェ」とか。「デス・イズ・ア・ペン」じゃなくて「ディス・イズ〜」とか。こういう違いって、言語で『音楽』を聴こうとすると、かなりの障壁になるということなのですよね。で。当たり前のように、その国々に住む人達は、生まれてからずっとその国の母国語を聴いて育つわけで。実は、日本語を聴いて育った人には聞き取れない音域が、英語に内包されているって知ったわけです。教えてもらったんです。母音、子音、の違いもあるけど。ヘルツ単位で、聞き取れないという極論まで行かずとも、感じる音。潜在的にすり込まれた、聴こうとする音域が、無意識に染みついているんだということらしいのです。

 そこで、自分の中で、キラリ!とエジソンが電球を発明したかのように(かはどうか知らんけど)、すげぇ!って、なったのです。なるほどと。

 ここからは僕の全くの持論と僕の勝手な感覚です。

 敢えて言葉をくみ取って『音楽』を聴こうと僕が何故しかなったのか。しないのか。それは、無意識に、ビートに委ねるという本来人間が根源的に持っていたものだったのではないのかなって納得したわけです。それと、日本人であるからこそ、ずっぽし歌謡曲を聴いていた人間でもあるけれど、先の日記にも述べた通り、“邦楽は洋楽に劣る”という劣等感を持って音楽をずっと聴いていた理由がわかったのです。別に僕が、英語をネイティブに喋れるわけではないっすよ。もう、どこを切り取っても「ザ・日本男児」ですから。でも、“いいなぁ、この音楽は”って、直感的に思えたのが洋楽で。どうしても、“なんかかっこ悪いよなぁ”って直感的に思ってしまっていたのが邦楽だったと。その違いは、僕がこよなく聴いていた音楽が主にロック、ロックンロールだったからです。ポップスもそうだけどね。結局、欧米から生まれた『音楽』なわけで。子音を主軸とした言語がビートに乗っかる音楽が全うな訳で。だからそういう捉え方をしていたんです。そんな、からくりに、最近、ようやく心底気づき、辿り着いたんです。

 それから、もう、なんか、違うんですよね。『音楽』の聴き方が。今までの解釈から全く違った感じ。今まで蓄積されてきた音楽を振り返って聴いても、耳や身体や心や感情や何やら全てに作用する感じが変わったという。そんな自己内変革が起こったのであります。

 と。またまた長々とつらつら書いてしまいましたが。実は、このことは知ってはいたんです。知っていたつもりではあったんです。しかししかし。なんとなくだめ押しのように、ここ数日間でその根拠と事実を突きつけられるようなことがあったので、改めて、『音楽』の深さに感慨深くなってしまったというわけです。

 そうそう。由紀さおりの歌がなんで世界でヒットしたの?の理由もこれに当てはまります。海外の人達は、日本語を知りません。知らない人が急激に惹きつけられたのです。理由は一概にひとつとは言えないけれど、彼女の歌声を楽器として捉え、聴いて、心地よいと思った人が、海外に多数いたということらしいのです。この事実も、僕の中で、納得、、、。となったものでもあります。

 このようなことを全て僕と同じように感じていたかは解りませんが。みんなも感じているかは解りませんが。このバンドがとてつもないパワーで急激にロックンロールバンドとして市民権を得た理由、解りますよね?

 英語詞、ヴォーカルがまんま欧米のソウルミュージック。だから大正解のロックンロールになっている。だからだから超かっこいいという。

 そういうことですよ。

 他に事例を上げたらきりが無いので、この辺で。

 僕が彼等のナンバーで一番好きな『音楽』を紹介して、終わりにします。

 


2012/01/17

『音楽』〜 “上を向いて歩こう”


 前回の日記で書いた、その名も『音楽』というタイトルの文章で、言葉にならない様々なことを、乱雑になってしまった思いを、書いた。その内容を改めて自分で租借し、上手く言葉で吐き出せるように、結局自分は何を言葉に表したかったのか?というものを改めて整理して、自分に降りかかった様々な要素を抜き出して、整合性を取れるように、書けるだけ書き記し続けます。今日はこれです。


 遅ればせながらようやく今年になって読破することが出来たこの本。この内容が僕に対して様々な角度から突き刺さって来たことが、『音楽』というものを改めて考えさせられる要因であったひとつです。著者の佐藤剛氏は、昨年、コアな音楽リスナーだけではなく、様々な人達にとって、記憶に残る出来事として刻まれた、あの作品。由紀さおり & ピンク・マルティーニの『1969』のプロデューサーでもあります(関連インタビューはこちら)。そんな氏が、長年の月日と想いを込めて上梓した本であります。

 ちなみに私、保坂壮彦は、この佐藤剛氏という人物がいなかったら、どうなっていたのでしょうか。いなかったら、多分、普通のおじさんとして、普通のサラリーマンとして、既に結婚して子供もいて…なんていう生活を過ごしていたのでしょうか…。まあ、そんな、今更考えたってしょうがない、所謂、たらればの話をしても何の生産性もないので止めましょうか…。

 改めて。

 僕の恩師であり、師匠は、佐藤剛氏です。氏がいなければ、僕はここにいません。氏が僕に、約10年前、一言声をかけてくれなければ、僕は音楽稼業を始めていませんでした。全てのスタートが氏のおかげであり、『音楽』たるものの全てを氏から学びました。若輩者ながら、偏った音楽観を持っていた僕に、様々な指南と至難を与えてくれました。氏から授かった大切なものは未だに僕の基軸として刻まれています。氏の身近にいた時は、それはもう吸収することが沢山あったし、離れてからも、時折、氏から授かるものはとてつもない財産として、僕の中に培われています。氏が僕のことをどう思っているか?はどうでもよくて、勝手ながらに、本当に僕の恩師であり、師匠は佐藤剛氏なのです。

 そのような師匠が上梓した本であるあるからして、直接的、間接的に氏から教授された、あれやこれやを想い出しながら、主観的な思いでこの一冊の本を読んでしまいそうで、多少、怖い部分もあったのですが、いやはや、そんなことは度外視です。目から鱗が落ちるとはこういうことを言うのでしょう。

 この本の大枠を言うと、彼が(ここから氏ではなく、彼と呼ばせて頂きます)、「上を向いて歩こう」を取り上げて、日本の歌謡曲、日本におけるスタンダードナンバーが何故生まれたのか?ということを紐解いていくことが概要になるのですが、それだけではありません。本当に、概要に過ぎないのです。

 僕は、幼少期、それこそアイドル全盛期、「ザ・ベストテン」をかぶりついて毎週観ていた世代です。その反動もあったからか、中学生くらいから、所謂「MTV世代」のまっただ中。洋楽をむさぼりながら聴いて行くことになります。その傍ら、THE BLUE HEARTSや、それこそジュンスカやBOOWYなどの邦楽バンド系も聴いてはいましたが、“日本人はどうやっても洋楽には敵わない”という認識をずっと持ち続けていました。それこそ、90年代後半にリアルタイムの洋楽を見事に昇華することを可能にしたアーティスト達。くるり、スーパーカー、ナンバーガール、そして、中村一義などが出てくるまで、邦楽に可能性を見いだせずにいたのです。それから、邦楽の歴史を綿密に真剣に振り返ると、幼少期に普通に聴いていた、YMOやゴダイゴ。さらにはアイドル全盛期の楽曲の作詞作曲をしていた蒼々たるメンツを知ることになり、邦楽もそれなりの歴史を歩んできたんだって、尊敬の念を抱けるようになりました。

 しかし、それは、島国日本の中だけでの化学反応であって、欧米の模倣から編み出した発明であって、オリジナルではないと、穿った思いを消し去ることは出来ませんでした。それは、それこそ、今の今までトラウマのように、僕の脳裏に貼り付いたままでした。しかし、この、「上を向いて歩こう」に詰め込まれた内容を読み終えて、“地球は丸かった”かのような価値観の変革が自分の中で起こってしまったのです。内容は、敢えて開陳しません。ただ言えることは、単なる日本の音楽史を紐解く本では無いこと。全米ナンバー1を記録した、坂本九の「上を向いて歩こう」を軸として巻き起こった、世界的な音楽業界の変革が的確に、細やかに詰め込まれているのです。

 日本でも、欧米と一緒に歩みを揃えるように、ポップスが生まれていた。ロックンロールが生まれていたんです。僕がずっと固持するかのように持ち続けていた、島国日本のイメージが一瞬のうちに氷解してしまった。参りました。本当に参りました。

 『音楽』

 突き詰めれば突き詰めるほど深い存在であるからこそ、知るに値するとても大きな存在。だからこそ、実体験として、聴くことが重要でありながらも、様々な文献に頼ることがどうしても必要になるときがあるが、溢れかえった情報化社会になった今、本当と嘘がないまぜになって世に蔓延っているからこそ、間違えると捻くれた音楽観に陥ってしまうこともある。でも、どんなものにも真実は存在している。その真実を突き止めるのは自分の価値観であり、本物を知ることである。それを改めて、身が震えるほど体感したのが、彼が書いた、「上を向いて歩こう」である。

 読み終える前と、読み終えた後での僕が『音楽』に対する感覚は変わった。確実に変わりました。いや、信じていたことが更に強烈に誠であったということを強く抱くことにもなったし、疑っていたことがやっぱり虚実であったということを確認することもあったけど、やはり、革命的に、自己内感覚が変化したことは間違いないのです。

 この「上を向いて歩こう」を読んだことが、僕の中にある、あった、今後もあるであろう、『音楽』の存在を変えた、一因であるのです。

 日記の最後に、この映像を紹介します。

 坂本九の若かりし頃の映像です。

 これ、ロックンロールです。

 ロックンローラーです。

 いたんです。

 エルヴィス・プレスリーの後に、世に出た、ビートルズやローリング・ストーンズと同じように、日本というこの地に、ロックンローラーが生まれ出ていたのです。それが手に取るようにわかる映像です。

 坂本九。

 余談ですが、この男のロックンロールを知っていたからこそ、忌野清志郎が、RCサクセションのライブで「上を向いて歩こう」のカバーを歌い続けたのです。さらに、本を読まずとも有名な話であるかと思いますが、全米ナンバー1になった「上を向いて歩こう」は、「SUKIYAKI」というタイトルに変えられてしまったけれども、歌詞は日本語のままでした。それで全米ナンバー1になったのです。これは、THE BLUE HEARTSが、アメリカデビューをする際、英語にすれば確実にブレイクすると言われたにも関わらず、頑なに日本語歌詞にこだわり、さらに、ツアーでも日本語歌詞のまま歌い続けたことにも繋がると勝手に決めつけています。ちょっと妄想や事実無根の情報を余談で書いてしまいました…。でも、そう思ってしまってもいいんじゃないかなって。ね。





 

2012/01/16

『音楽』


 今年に入ってから。いや。遡れば、自身の作品、『ALL IS LOVE IS ALL』を制作し始めた頃からだろうか。となると、去年の8月くらいからになるのだろうか。それから時間が過ぎて、まさに、今日。『音楽』が、全身全霊に染み渡っているのだ。色んなきっかけがあるにはあるが、これほどまでに『音楽』というものを聴いてきた自分に向き合わされることは無かったかも知れないほど、『音楽』の存在に圧倒されてしまっている自分が今、いるのだ。
 それは、何らかの『音楽』を聴き、それに感動して、それに感化されて、『音楽』の素晴らしさに気付かされたという、シンプルなものではない。“何故、僕は、これほどまでに『音楽』を好きになったのか?”。“本物の『音楽』とはこういうことだったのだ”。“どんな行為も、全てが『音楽』から始まるのだ”。などなど。ただ『音楽』が好きだということではなく、ただただ『音楽』の重要性を噛み締めるというモノでも無い。
 僕は、今、凄く説明し難いことを言葉にしている。そうわかっていながらも、なんとか言葉に記したく、ブログに書き記している。

 一呼吸してみる。

 なんとなく、言葉に出来そうだ。

 『音楽』。僕は、母の体内にいるときから、きっと何かしらの音楽を聴いていたはずだろうとするならば、40年以上。『音楽』というものを聴き続けているということになる。そんな個人史を、俯瞰することが、今、何故か、今日、出来た、ということらしい。そんな感覚。現在過去未来。そう、現在過去は誰にだって記憶と想い出として蘇る。でも未来はわからないはずなんだけど、未来さえも見据えて、『音楽』を聴くというか、観るという感覚に近い。そんな感じが全身に充満してきている。
 人は、色んな種を植えて生き続けている。色んな点を標して生き続けてきている。さらに、明日に向けても、様々な種や点を投げ続けている。それらが、どのような花を咲かせ実になるのか、点が線となったり輪になったりして繋がるのか、わからないけれど。とにかく、今、僕の中で、『音楽』というものの存在全てが、一気になだれ込んで、僕における『音楽』の存在の答えが湧き出てきている感覚なのだ。

 “僕にとっての『音楽』の存在とはこういうことだったんだ!”

 そんな感覚だろうか。いや。なんか。軽い。もっと重みのある感じ。

 “生まれたからには生きてやる意味と、『音楽』が常に側にあり続けた意味が合致した!”

 そんな感覚だろうか。うん。多分、そういう感じでもある。けど、まだ、何か違う。

 やはり、うまく、言葉に出来ない。

 でも、これは、言葉にしなくちゃならない。そうしないと、自分の感情から零れ落ちる場所が、溢れ出す場所が、無い。となると、このエネルギーは、暴発するか、時の流れで薄められてしまいそうで。それは、不健康極まりない。だから、絶対に言葉にする。

 『音楽』というものが、なぜこの世に存在し、『音楽』というものになぜ僕が触れ続けているのか。そして、その『音楽』が僕にとってどのようなものなのか。絶対に吐き出さなければならない。そんな思いが、究極的なレベルで駆り立てている。

 上手く言葉に出来ないけれど、何故そうなったか?の理由はわかった。俯瞰できて知れた。そう、もしかしたら、僕は、今日をもって、40年以上続けてきた、『音楽』と共に生きて来たことにある種の決別をするような気もする。それは決して逃避でも無いし、諦めでもない。ただ、これからの人生において。僕が生きていく上での『音楽』の在り方を、根底から覆すほどの岐路にいるようだ。それだけは間違いない。

 そうとう大げさなことを、つらつらと書いてしまった。にも関わらず、全く持って核心を言葉に出来ないというていたらくなブログというか日記というか文章になってしまった。しかし、明日以降、ここで記したことをスタートとして、なぜこのような感情になったかの理由を、小出し小出しに書き続けようと思う。そうすれば、自分でもどこかの時点で、しかと言葉に出来るような気がするから。

 うん。

 そうしてみる。

 いや。

 しなきゃ駄目だ。

 うううんん。

 したいからするんだ。

 言葉にしたいから。するんだ。




 

2012/01/06

DJ保坂壮彦 set list 2011/12/31 27:40 ~ end @CDJ11/12 ASTRO ARENA





01 ウソを暴け! / 中村一義
02 新世紀のラブソング / ASIAN KUNG-FU GENERATION
03 FUNKASTIC / RIP SLYME
04 I Hate DISCOOOOOOO!!! / the telephones
05 check it out! check it out! check it out! check it out! / The Mirraz
06 Rocket / POLYSICS
07 ジターバグ / ELLEGARDEN
08 4REST / 10-FEET
09 糞ブレイキン脳ブレイキン・リリィー / マキシマム ザ ホルモン
10 オトナノススメ / 怒髪天
11 DOWN BEAT STOMP / 東京スカパラダイスオーケストラ
12 セントレイ / サカナクション
13 FOOL GROOVE / YOUR SONG IS GOOD × BEAT CRUSADERS
14 風吹けば恋 / チャットモンチー
15 HOT DOG / THE BAWDIES
16 ロックンロールは鳴り止まないっ / 神聖かまってちゃん
17 天体観測 / BUMP OF CHICKEN
18 Sugar!! / フジファブリック
19 上を向いて歩こう / RCサクセション
20 TRAIN-TRAIN / THE BLUE HEARTS
21 Can't Help Falling in Love / Hi- Standard
 〜アンコール〜
22 世界の終わり (primitive version) / Thee Michelle Gun Elephant




2012/01/04

2012年。始まりの言葉。「COUNTDOWN JAPAN 11/12」を終えて。





 CDJ11/12。終わってからすぐ書こうと思っていた日記。

 でも、風邪引いちゃって。今になっちゃった。

 改めて。

 昨年の30日と31日に、日本中、世界中。どこへでも行けるこのご時世に、DJ保坂壮彦の時間。アストロ・アリーナに来てくれたみなさん。本当にありがとうございました。心から感謝しています。本当に嬉しい限りです。

 30日。ていうか、31日のDJは既に年越ししている時間だったので、2011年の最後のDJとなる30日のDJ。様々な別れや出会いが錯綜した2011年を総括するための選曲を…ということで、何かを伝えたい。それは、来たるべく2012年以降に向けた希望でもよかった。来年は良い年でありますようにという願いでもよかった。でもそれよりも、2011年に突きつけられた事実を、年内中にあの場で響き渡らせたかった。
 震災という誰にも避けられない哀しみは、決して消え失せない。だからこそ、そのブルースを忘れてはいけないということ。それはもう誰もが知っている事実です。しかし、そこから派生した、日々垂れ流されるウソかホントかわからないニュースという情報。どう考えても避けられることが出来たであろう、震災に対応する人達によって巻き起こってしまった、人災における悲しい出来事。それを受け止めて、沸き起こる、君や僕の感情。その感情さえも、ホントなのかウソなのかわからないという暗中模索。希望を抱く前に、それらを一度集約して、自分自身も見つめ直したかった。それを、みんなにも伝えたかった。その思いを強く抱いた訳で、ど頭の1曲目にとあるパフォーマンスをやりました。
 その名も、「Honeycom.ware(ずっとウソだった Mash Up Mix) / 中村一義」と勝手に命名したトラックを、自宅で制作し、1曲目にかけました。中村一義の楽曲のイントロをループさせて、斉藤和義の反原発ソングを乗せたもの。それをかけながら、我が師匠、ボブ・ディランの「Subterranean Homesick Blues」へのオマージュを込めて、自分の手書きのボードをVJで映し出して、オーディエンスに伝えるというパフォーマンスをやりました。



 終演後、色んな人に言われました。

 「そんな政治的意味合いのあるパフォーマンスをやるなんて思っていなかった」
 「保坂さんって反原発派なんですか?」
  とかとか。

 いやはや、困りました。僕は、何かに対してアンチを突きつける人間でも無いし、ましてや、政治的意味合いを含めた行動をやっているわけでも無い。さらに、反原発を掲げる人間でも無いのです。ならば、なんでそんなことをパフォーマンスでやったのか。その理由は単純です。2011年に産まれた音楽。斉藤和義が産み出した「ずっとウソだったんだぜ」という楽曲を伝えるだけ。それを、生死がないまぜになった究極のソウルミュージック、中村一義の楽曲に乗せてさらに増幅させたかった。僕自身がエゴ丸出しでパフォーマンスをしたかったというよりも、2011年だからこそ産まれた執念の楽曲を、一人でも多くの人に伝えたい、増幅させたかったからです。僕の思いや、僕の気持ちは二の次。「ずっとウソだったんだぜ」という楽曲が2011年に産まれたという事実。それを伝えたかった。それをみんながどう受け止めるか。それはあなた次第です。ただただそれを伝える役割をこなしただけです。前から言っていることだけど、僕は、単なる音楽の架け橋的役割を果たす、DJです。できる限り、アーティストとオーディエンスに余計なフィルターを挟まぬように、する。挟んだとしても、どちらの思いも穢さぬように、プレイする。その立ち位置で、伝えた。

 本当にそれだけです…。

 そして31日のDJ。正確に言うと、元旦の午前3時40分からのDJ。1曲目に、2012年1月25日(水)に先行配信される、中村一義の「ウソを暴け!」をどこよりも早く、かけて、伝えました。実は、この楽曲が僕の手元に届いたのは、2011年の年末です。もうこの時点で、30日と31日のDJで僕が為すべきことが決まったようなものです。

 すでに、なんとなく気づいてくれた人もいるかも知れませんが、斉藤和義にしろ中村一義にしろ。共通する言語が「ウソ」という言葉だったということです。でもその「ウソ」という言葉が共通するしているだけで、両楽曲ともに伝えんとしている事は、内容は全く異なる楽曲なのであります。でも、表裏一体。表現者が伝えようとする意気込みは比較出来ない。互いの楽曲に込められた大切な思いを、2011年と2012年に振り分けて。31日のDJ初っ端に、中村一義の「ウソを暴け!」をかけました。
 この楽曲に込められたメッセージはとてつもない強い思いがあります。タイトルからして反骨精神的なイメージが浮かぶかも知れませんが、楽曲は深遠なる穏やかさ。力強くも優しさが溢れる決意が詰め込まれています。2011年の出来事を全て受け止めて。そこから産まれた感情は真実か虚実か。そこに真摯に向かっていく。独りでも行こう、と。ホントと思えるなら、行こう、と。その姿勢や行動。それを喚起させる祈りにもにた懇願がたっぷり詰め込まれているんです。
 
 そして、30日もそうだったし、特に、31日の最後のDJなんかさらにそうだったんだけど、あり得ないくらいの、保坂壮彦的DJのアンセムを極限まで詰め込んでフロアに投げ込み続けました(31日のセットリストはこちら)。

 今までずっと。フェスのDJとしては、数日間にわたって、何度もプレイをすることが多かった。しかし、今回は(去年の夏もそうだったけど)、2回だけ。そこに、己の全てを吐き出そうと。もしかしたら、明け方にここまでのアンセム連発は、オーディエンスのみんなとしてはきつかったかも知れない。それは謝らなくちゃいけないかもなぁ…。でもね、でもね、出し切りたかったんです。いつもだったら、あそこまで激しいセットリストを組みません。あそこまで激しいDJをやることはありません。昨年リリースしたDJ保坂壮彦のアルバム「ALL IS LOVE IS ALL」を聴いて貰えればわかると思うし、僕のイベント、soultodayに遊びに来てくれているみんなならばわかると思う。

 出し切った理由。それは感情の爆発。

 過去の自分を悔いなく最大レベルで吐き出す。

 それも、「ずっとウソだったんだぜ」「ウソを暴け!」という2曲があったから。

 さらに、自らの「ALL IS LOVE IS ALL」という作品でDJ保坂を集約出来たから。

 残るは、フェスでの、僕でした。

 そんな流れで、後先、いや、後は考えていた。先は全く考えず、とにかく、明け方まで突っ走ってやろうと。そういう気持ちで、燃え尽きるまでプレイしました。そのおかげ(?)じゃないけど、フェス史上初。DJでアンコールを頂き。でも、そんなことがあることはつゆ知らず。なんの準備もしていなかったけど、フロアから届けられた声。リクエストの声。その中で、一番、びびっと来たのが、「ミッシェル!」という声。それに応えるように、最後に、かけました。僕の中では、thee michelle gun elephantと言えば、「世界の終わり」。ぴたりとはまりました。元旦早々、「世界の終わり」。縁起でも無いといえば、はい、それまでよ、だけど。どんな始まりも終わりを知らなければ、何も始まらない。2011年に色んな終わりを味わった僕らは、2012年に向けて、もう一度、何度も、何回も、その終わりを忘れずに、沢山の始まりを、みんなで、いや、独りでも、築き上げていくことになるんだと。生まれて初めて、フェスの会場で、オーディエンスの声からインスピレーションを直接受けて、選曲して、そんな思いを貰えて、とても感謝しています。

 そうして終わりました。全てが終わりました。これで終わりました。



 長々と、相変わらず失礼しました。

 僕は、毎年、新年に、書き初め的に、今年のテーマを決めてるんですが。

 敢えて、今年から、毎年、違った言葉を掲げることを、やめました。

 
 「2012年は良い年だ!!」


 これを、毎年、言い続けます。

 そして、今年の年末に、

 「2012年は良い年だった!!」

 と言えるように、する。なる。絶対に。

 でもって、その次の年は、

 「2013年は良い年だ!!」

 と言い切り、またスタートをする。

 その繰り返しを続けていこうと思います。

 だから、御願いです。御願い。

 みんなも、心の中で、声高らかに、

 「2012年は良い年だ!!」と断言して下さい。

 迷うこと無く、断言すれば、何かが動くと思うのです。

 さあ、みなさん、ご一緒に!!





 「2012年は良い年だ!!」