2010/12/27

さあ、いざ、幕張へ。

さあ、明日から始まります。COUNTDOWN JAPAN 10/11。今年はどんなフェスになるのでしょうか。いつもながら、いや、いつもよりも、来てくれる皆さんの心に刻まれるような素晴らしいフェスを演出する一部の場所で、DJ BOOTHで、音楽を響かせたいと思っています。
今年の保坂のDJのテーマは、原点回帰です。何度も何度も、夏を含めて、今まで出演を重ねてきて来ましたが、その中で、忘れてきたものも多かった気がするのです。フェストともに育ってきたDJ BOOTHでのアンセムが当たり前のように求められる磁場になったということ自体はとても素晴らしいことだと思うのですが、その中で、保坂壮彦というDJが常に刷新されていくような。アンセムが年を追うごとに遍歴していくような。そういう音楽の鳴らし方をどこか無意識になくし忘れていた部分もあったのではないかと思うのです。そういった意味でも、あの場所で、DJをやれる喜び、そして、あの場所で鳴らす音楽が育っていくこと、そのような時代の流れを鑑みつつ、保坂壮彦だから鳴らせる今の音や、鳴らし続けてきたはずの名曲アンセム達を改めて自分自身俯瞰して、DJに挑もうと。思っています。

いつもの、さいきんの、俺とは、ひと味ちがうぜ。

会場での諸々は、基本、下記の、保坂壮彦のTwitterと、soultodayblogで更新いたします!
会場でのあれやこれやをチェックして下さい!

保坂壮彦Twitter
http://twitter.com/ho_take
soultoday blog
http://blog.livedoor.jp/soultoday/

つーわけで、いつのいつも、ばったばたで、時間がなーい、なーい、ので、日記はこのあたりで。
幕張に来れないかたには、今年もいろいろとお世話になりました、という挨拶をさせていただき、来年もよろしくお願いいたします、と、声を大にして伝えさせてもらいます。

それと、保坂壮彦、今年の年末から、モバイルサイト「Rocks」の運営をしております。

(モバイルサイト)
http://rocks.vc
(web)
http://faec.jp

様々なレビューを含めた活動を開始しています。
是非ごらんあれ!

それでは幕張に行ってきます!

2010/12/10

soultodayへようこそ。

soultoday101210
新宿marz
23:30〜
¥2000(1drink.inc)
DJ:保坂壮彦 タイラダイスケ 星原喜一郎
Illustrator:natunatuna




★保坂壮彦COUNT DOWN JAPAN10/11出演記念!フェス特集あり!
 今年も幕張にて開催されるCOUNT DOWN JAPAN10/11に出演、保坂、ということで、フェスを前にしての予習もかねて、いや、行かない人だってあの興奮を楽しめるっということでやります!
★振る舞いシャンパンあり!
 マーズのお誕生日ということもありますし、クリスマスってこいうこともありますから、振る舞いますよ!
★リクエストカードあり!
 みなさんのリクエストを受け付けます!事前にリクエストカード記入してもらったものをDJ陣が拝借し、可能な限り答えます!
★イラストレーターnatunatunaによるクリスマスカード(手作りケーキつき)あり!!
 natunatunaのクリスマスカードと、豪勢?なケーキも用意します。

二ヶ月ぶりで、今年最後のsoultodayなんで、ぜひぜひ、遊びに来て下さい!
いっぱいきてくれなかったら…保坂本泣きします。。。。

2010/11/27

「COUNTDOWN JAPAN 10/11」出演です。

 今年も冬が始まったのですね。そして、CDJの発表がありました。またまた出演させて頂く事になしました。振り返れば、03/04からですから、えっと、何回目?かな。まあ、夏のフェスも含めて、年末フェスもそうですが、まさかまさか、ここまで回を重ねて、毎年毎年出させて頂くことになるとは本当に思っていませんでした。感謝感謝の気持ちでいっぱいです。それはもちろん、主催者のスタッフのみなさんですし、フェスに毎回きてくれる皆さんの後押しがあってこそです。そう、DJブースなんて、暴言を吐いてしまえば、無くてもよかったかもしれません。だって、みんな、アーティストのライブを観に来るのが主ですからね。でもそこに、DJというものが存在し、アーティストが届ける音楽とは違った形で、祝祭空間を演出する一端を担えるということが証明されて。それはもう、DJブースというものがそこにあるということに、来てくれた皆さんが、必要であると。楽しめると。楽しんでくれると。集まって踊ろうよと。そういう磁場を毎年毎年作り上げてくれたからこそで。そのパワーが無ければ、ここまで毎年毎年消滅せずに、消滅どころか、規模が膨らむほどにでかくなるという。本当に想像だにしなかったことになっているということなのであります。
 というわけで、今年も、私保坂は、幕張で年越しです。振り返れば、昔は、わざわざ駅前のスーパーにいって、日本酒一升瓶を自腹で買って。ある年は、安い、ちっこい、樽酒をかって。ステージ上で乾杯をしたり。近年で言うと、みなと屋さんが年末フェスに来てくれるようになってからは、升酒を拝借して、ステージ上で乾杯したり。って。酒の話ばっかりだな(笑)。去年に至っては、なんかしんないほどの、すんげぇでっかい風船(?)を用意してもらい。それをステージ上からみんなに投げ込むという。果たして俺は、何様だよ?ってなこともやらせていただいたり。それもこれも、そこまで出来る場所であるということを、築き上げてくれた皆さんのおかげなんですよ。本当に。
 昨今、やれ、CDが売れないということが言われているけれど。それに反比例するかのように、ライブやツアーやフェスという。音楽が生で直接オーディエンスに伝わるべく場所が潤うということになっていることが、なおさら、DJとして、例年以上に気合い入れて、音楽を届けることをせないかんと思っている次第です。
 さあ、幕張にて会いましょう。



 ていうか、その前に、soultodayですよ。12/10です。フェス前にフェス特集DJをやろうと思っています。幕張に来れる人は、体をほぐすつもりで盛り上がろうよ。もし、来れない人は、そのうっぷんをはらすべく、踊りまくりましょう。


 ぜひにぜひに。


 

2010/11/22

報告。と。月光浴。と。K。

http://www.soultoday.comへのアクセスが不可になってしまっています。もうしわけございません。一両日中には復帰させます。。。

次回、soultoday、は12月10日開催です。

http://blog.livedoor.jp/soultoday/





さあ、明日からはじまる、ものがたり。

はじまりはいつもあるある。


そんな始まりの日に、満月が浮かぶそうです。
あんまし占いとか見ないけど、木星となんとやらが、俺の誕生日の19日からなんやらかんやら重なって、満月となるそうです。
明日というか、今日の2:27だって。

ふーん。
 
でもって。
「今まで不安で仕方がなかった自分を
あははと笑えるタイミングが多そうな感じがするのです。」
だって。

ふーんふーん。

なんだかおやじに近づくにつれて。
かたちあるものだけに目を奪われがちになってしまっているけど。

信じてみよう。
いろいろと。




月光浴。

してみるか。


追伸:
先日この日記で大プッシュした、HAPPY BIRTHDAY。
PVが出ましたよ。

「K」

御覧あれ〜。

2010/11/19

おめでとう、俺。

やべぇぞ、こりゃ。
とうとう本格的におっさんの領域に入ってきた。
どうしようどうしよう。
どうにもならない。

誕生日。

やーだやーだ。

…。

空には星が輝き、月も見える。
すてき。

…。

そんなセンチメンタルなロマンチックなこと言ってる場合じゃないぞ。



こうなりゃ、あと1年。
やりつくしてやりつくして。
やり残さないようにやり続けて。

勢いを呼び戻して、突き進むしか、ない。

そうだそうだそうなのだ。

GO!
GO!





もっぷん。



タケカワユキヒデさんは俺の中学校の大先輩。
CDJで絶対観る!!

2010/11/03

Manish Boy

CMでさ。H&MのCMでさ。ひっきりなしに流れてるあれさ。エリカ・バドゥの「Manish Boy」なんだけどさ。この寒くなってきた季節にむかつくぐらいぐっとくるんでさ。でもさ。エリカ・バドゥじゃ満足出来なくてさ。やっぱりやっぱりマディ・ウォーターズのをさ。聴きたくなったのさ。紹介するさ。


あなたのブルースに響き渡りますように。


2010/10/31

The Tennessee Waltz / Patti Page



想い出す。

甦る。

音楽に出逢った頃のこと。

音楽に押された頃のこと。

音楽で繋がった絆のこと。

音楽で別れた沢山のひと。

そして。

巡り巡って今日ここにいること。

逃れられないと思っていたことは。

逃さないと思い続けていたことだ。

涙は出ない。

でも。

すげぇ奥の方の奥の方にしまい込んでいた魂が泣いている。

心が泣いている。

今の今から。

あったはずの景色をもう一度。

眺める。

その先に行くはずの景色を描く。

そうなのだ。

どうだっていいのだ。

どうなるかは自分だ。

自由。

愛。

音楽。

なんだろう。

俺。

「忘れない」を忘れていました。

絶対に忘れないと思ったのに。

さあ。

「忘れない」を忘れてしまったことを、忘れない。

これは決意。

絶対だ。

ゆっくりのんびり行くけどね。

急がず焦らず行くけどね。

でも絶対。

行く。

2010/10/30

ドラム!ドラム!!ドラム!!!

今、絶賛csにて放映中の、今年のフジロックの模様を観て。Them Crooked Vulturesのライブを観て、改めて感じたこと。デイヴ・グロールのドラムって、根っからのハードロック気質なんだということ。ニルヴァーナがあれほど破滅的で破壊的であったにも関わらず、何故にあれほどまでのコマーシャルなブレイクをしたのかということに、ドラムが一役も二役も貢献していたんだなって再確認しております。カート・コバーンの紡ぎ出すメロディがキャッチャーでポップであったのもあるが、やはり、バンドはドラムなので。でも、当時はさほど、デイヴのドラムにコマーシャリズムな感覚を受けることはなかったのですが。改めて現役の彼のドラムを目の当たりにすると、そう思ってしまうのであります。いやぁ、しかし、デイヴのドラムは重い。タイトで重い。塊がひとつずつ、ドスンドスンと脳髄からケツまで止めどもなく叩き落とされる。凄いね。やっぱ。

おっと、!!!(チックチックチック)のライブが始まった。いいねぇ。フジロック。最高だね。自宅で独り過ごす金曜日の夜(笑)。

あ、タモリ倶楽部もはじまるじゃん。

2010/10/28

いくつになってもweezerが好きだからぁ。

weezer通算8枚目のアルバムが、Epitaphから出るって聞いて、「ほ〜」っと感心しておりました。こりゃぁかなりはっちゃけた感じになるんだろうなって思ってたら、「ほら〜」って感嘆いたしました。いいね、いーね。
ある種、リバース・クオモって人間は、陰陽を使い分けるのが苦手な人間だから。独りで突っ走ると、どうしても、陰の方向に潜り込んでしまうので。こうやって、外枠を、活動の範囲内を陽で包み込むことによって、決して消え去らない刹那を、とんでもない陽気なロックに昇華出来るということなんですよ。それが無尽蔵に発揮されたのが、このシングルっすね。



最高だぁ。
でもねぁ、とどのつまり、彼らはいつまでも、「如何に、1stと2ndを凌ぐ傑作を作るのか?」という至上命題を課せられてしまっているからして。そういう類のファンからすると、「ふざけすぎー」なんて声が上がるのかも知れない。まあ、いいじゃんか。『ピンカートン』のデラックス・エディションがリリースされるんだから。それはそっちで欲望を昇華しようぜよ。さらにさらに、Weezer幻の音源もリリースされるわけだし。この幻の内容によっては、彼らのデビューの足跡、ようは、1stに辿り着く意味と、2ndリリース後に試行錯誤した上でお蔵入りになった楽曲も聴けるわけだから、色んな意味で、彼らの足跡が開陳されて、すっきりするのかもしれないかなって、思っています。

いやぁ、にしても、weezerは大事だなぁ。俺にとって。
懐かしい想い出もねぇ。
新宿リキッドルームでのライブ!
ライブ後に歌舞伎町の街に出てきて、ファンのみんなと大騒ぎ!
そんなことがあったよなぁ…。


なつかしやー。

2010/10/24

『中村語録2』

『中村語録』という本をご存じでしょうか?
知っているのならば、それだけで、嬉しいです。
持っているのならば、それはもう、それだけで、じゅうぶんです。

———『中村語録』とは?

『中村語録』とは、中村一義のパーソナルブック。
中村一義に多大な影響を与えた、今は亡き祖父・中村二郎のモノローグと、
中村一義と祖父、祖母の“中村家お茶の間での鼎談”による二部構成の全100ページの書籍です。


2002年に発刊されたこの本の取材、インタビューを私、保坂がやらせて頂きました。振り返れば、8年の月日が流れているのですね。

今でも私の大切な宝物であり、バイブルであります。自ら取材をさせて頂きながら、このような物言いもどうかと思いますが、本当に、宝物であり、バイブルであります。当時の僕にとって、この取材が決定したこと。それが、書籍として発刊されるとなったこと。とてつもない財産になっております。言い過ぎかも知れませんが、この本を成就させることが出来たということで、僕は全てを成し遂げたと果ててしまってもいいと、当時も今も思ってしまうこともあります。

あれから8年。
この度、『中村語録2』が発刊されることになりました。

今回の第二弾のメインは、中村一義を幼少期から見守り続けている祖母・中村安子と中村一義の対談。幼少期から今まで、ずっと傍らにいた祖母に中村一義はどう映っていたのでしょうか?そして、カラーページには、秘蔵写真満載のフォトアルバムを掲載。

とのことです。
さらに、中村君自身が責任編集を自ら行ったという、パーソナルなものになったのです。

中村一義というアーティストは、デビューアルバム「金字塔」というまさに金字塔なアルバムをリリースしています。このアルバムが彼の個における全ての集約的なパーソナルな作品であり、であるがゆえに、聴き手のパーソナルにとてつもない衝撃を与えた作品であったことは言わずもがなであります。そこから彼の全てが始まり、今彼がいるのは、そこがあるからであると言っても過言ではない。ようは、彼がデビューするまでの期間。どのように中村一義という人間が形成されていったのかということが、とてもパーソナルであるが故に、さらに聴き手が欲するべくものであるということ。それを証明することが出来たのが、『中村語録』でありました。御爺様から語られる様々な言葉の数々は、パーソナルであるが故にとてつもなく普遍的です。中村一義というアーティストが好きならば染みいる本であるという、そんな狭き門ではなく、音楽を、いや、この時代を生き抜く上での様々な考え、知識、思い、全てが詰め込まれています。その第二弾が御婆様との対談で新たに披露されるのです。

嬉しいです。

さらに、さらに、ディープに。それがさらに聴き手にディープに伝わることが、より普遍的な広がりを見せることが可能になるであろうという、今回の発刊。

是非とも一読よろしくであります。

ちなみに未だ僕も読んでおりませんので、わくわくが止まりません。

楽しみです。

2010/10/20

HAPPY BIRTHDAY!

もうこの歳になると、何度も何度も何度も。
音楽でこれでもか、これでもか、これでもかー!と。
驚愕させられながらも。
いつもいつもいつも。
素晴らしい衝撃を音楽から頂き続けていて。
麻痺したり、鈍感になったり、することもあるのですが。
普通以上の衝撃がたまーに来ることがあって。
その衝撃によって、またまたまた、目が覚めて。
音楽って素晴らしい!ってなるのです。
もうこの歳になっているのにね、何度も何度も何度も。
でもでもでも。
そうは来ないよ。この衝撃。


紹介します。
HAPPY BIRTHDAY。
です。


11月24日に「デートに行けない日曜日/HAPPY BIRTHDAY」にて、Mule Recordsより、全8曲入りでデビューです。


告知みたいになりましたが、違います。
保坂が保坂を背負って、押します、一にも二にも押します。
保坂が保坂を背負う時は、本気です。

直近だと、SEBASTIAN Xかな。
そのちょい前だと、世界の終わり。
押して押して、ました。デビューから。
そのちょい前だと、サカナクション。
メンバーがまだ北海道にいる頃から。
押して押して、ました。一郎君に出逢ってから。

そんな、保坂が保坂を背負います。

紹介します。
HAPPY BIRTHDAY。
です。

せっかちな人に簡単に説明します。

(その1)女の子2人組です。
(その2)唄う歌が全て失恋ソングです。
(その3)ライブパフォーマンス含めて、まるで、女版、サンボマスターみたいです。

以上。

せっかちな人にはこれだけでじゅうぶんの説明です。

ていうか、せっかちな人ではない人にはこれだけの説明だと、何故保坂が保坂を背負ってまで押しているのか解らないかも知れませんね。

では、せっかちじゃない人にちょいと説明です。


とにかく、唄が素晴らしい。
ボーカル、きさ、の、声が素晴らしい。
引きつった叫びが、オノ・ヨーコであり、暖かい声が、原田郁子でもあり、その本当の唄声から出る、心の在処は、幼稚園児であるのだ。
あまりのストレートな歌詞に、ついていけないやって思う人もいるだろうが、それは、天賦の才に出逢った時には必ず付いてくる、「初対面に巻き起こる違和感」ということだ。ロックの歴史にはそう書いてある。ロックとはそういうものだと俺は信じているから、それでいいのだ。
例えば、エルビスがロックンロールを鳴らしたとき。例えば、ブルーハーツのヒロトがパンクロックを鳴らしたとき。その食い合わせの悪さと、あの衝撃的事実は未だに忘れられないし、ロックの試金石となっている。「そこまで言うか?女の子2人組の、つぼみ状態のバンドに?」という突っ込み大賛成。そう言われれば言われるほどやる気が出るってもんなのだ。

何が成功で何が失敗かわからない時代。
音楽で成り上がるなんてよくわからない時代。
普遍的にロックを鳴らすことがどれだけ魅力的なのかわからない時代。

「わかんないことがわかんない」

そんな気持ちがあなたにあるのならば。
そんなあなたが少年少女ならば。
彼女たちの音楽に触れることを進めます。
触れないことは薦めません。
触れたら最後。
一生卒業出来ないかも知れません。
ロックから。

僕はきっとそうです。

だからこうやってまた衝撃を喰らって。
喰らったパンチを、散弾銃のごとく、全方位的に放ち。
そこやどこかのあなたたちに。
届け続けるのです。


是非。

お楽しみに。


追伸:
日々、オフィシャルサイトも、日々、形を整えているようです。
YOU TUBEの動画もあるかな?と思ったけど、それはそれで、無いような感じです。
myspaceで、K(demo)を聴いてみましょうか。それだけでも、少しは、現在レベルで、伝わるような気もします。もっとディープに早くから突っ込みたいなら、きさのmyspaceを聴くのもいいかもしれません。自由です。自由。音楽は自由。

2010/10/18

終わった。

 今年の、俺とタイガースの2010年が今日終わりました。

 シーズン成績は2位。クライマックスシリーズを本拠地甲子園にて、3位のジャイアンツを迎えての3戦短期決戦。先に2勝を上げたら、ドラゴンズの本拠地に進出出来るという。その状況下で、ジャイアンツに2連敗で、ものの見事に玉砕。シーズン中のデータが示すとおり、甲子園という圧倒的ホームでの勝率を考えると、スムーズに名古屋に行けると誰もが信じていましたが、負けました…。終わりました。来年の春まで、プロ野球で歓喜することが無くなってしまった…。約4ヶ月。野球のない毎日を過ごすのです。つらーい。でも、昔の弱虎の頃を想い出せば、全然つらくなーい。昔だったら、もっても夏の初めまで。早ければゴールデンウィーク頃まで、タイガースは活躍して、あっという間に最下位に、っていう図式が当たり前だったから。贅沢しちゃいかんいかん。改めて今年を楽しませてくれたタイガースの選手に感謝いたしましょう。

 ということで、総括しますよ。

 プロ野球全体を総括すると、途方もなくなってしまうので、まずはセリーグの大まかな総括から。今年のセリーグ。結果的に、打高投低が顕著に表れるシーズンでした。これを象徴するチームがタイガースとジャイアンツ。この2チームが結果的に打力で勝ち抜くということを成し遂げて、2位と3位を勝ち取ったと。じゃあ、ドラゴンズは?というと、それが真逆で。ドラゴンズは、投手中心のチーム。しかも、ホームでの勝率が半端無いほどの数字。ようは、ホームでは、裏からの攻撃。相手の攻撃を押さえて、その後に打者が点を取るという図式。その勝利の方程式を徹底的に仕込んだのが、落合監督だった。まるで、ホームで全勝するくらいのチームの勝利の方程式。結局はその方程式が、投手力中心のチームとなり、シーズン後半でも崩れず、1点が重くなる試合での投手の重要さを押し出す。野球は基本、ピッチャーなのです。「点を取らなければ勝てないだろう」と思いがちだけど、「点を取られなければ、負けない」ということです。逆説を言うと。それは、「点をとっても、取られれば負ける」ということにも繋がる。その強みがセリーグ優勝に繋がった。その強みが無かったタイガースは2位に終わった。

 では、今年のタイガースはどうだったのか。

 今年のタイガースは、まずは最初に、赤星引退というかけがえのない事実からスタートしなければならなかったこと。それと、左のエース、岩田が長期離脱で不在ということ。絶対的戦力の2人がいない状態から始まったということ。さらに、右肘の治療が長期化している矢野の穴を埋めるべく、大型補強として、城島が捕手として入団したということ。このマイナス2、プラス1がどのように新しいタイガースとして機能するか?ということが問われていた。
 赤星の穴埋めとして来日したのがマートンである。はっきりいって、誰も期待していなかった。赤星以上の選手はいないからである。さらにキャンプ時の彼の動きを見ても明らかに使い物にならない状態だった。が。しかしである。今となってみれば、勤勉かつ真面目な生活で、日本の生活にもすぐに馴染み、さらに、イチローの日本での年間安打記録、210本を超える活躍を魅せた。これは明らかに嬉しい悲鳴であった。赤星の穴を埋める以上の活躍をしたと、言ってしまってもいいだろう。さらに、岩田の穴はどうだろうか。ていうか、もう1人のエース、能見も序盤に離脱。さらにさらに、開幕投手を長年務めてきた、安藤が鳴かず飛ばずの活躍で。先発3本柱が序盤からいない状態。それを埋めるには結局シーズン通して苦労し続けた。故に投手力は不安定のまま。しかし、久保の大活躍と、シーズン途中から加入したスタンリッジ
の活躍がなんとかチームの屋台骨を支えてきた。他外国人選手は不安定であったし、下柳も、年齢的な衰え故に、不安定さがあったという事実。それをかばうように、中継ぎの西村が2年目で芽が開いたということが、数少ない投手力の支えでもあった。あとは、シーズン後半に、ルーキーの秋山が好投し、最後の最後に能見が復帰したからこその、優勝戦線に残ることが出来たという塩梅だろう。
 後は、城島の加入。これは、でかかった。リード面で言うと、久保が今年ここまで活躍出来たのは、城島の強気のリードのおかげだ。さらに、タイガースの選手としては珍しい、奔放な明るい性格。彼の姿勢が、タイガースの凝り固まったイメージを崩すことになる。チームの和としてとてもよい潤滑油になったのではなかろうか。しかし、捕手がいきなりやってきて、100%の力を発揮出来るわけではない。例の安藤や下柳は、明らかに、今までの正捕手の矢野との相性が抜群であったがゆえに、城島との連携不足が彼ら達の不調にも繋がったのではなかろうかと憶測する。
 これらのプラスマイナスの要素以外にも、今年は、チーム的に大きな転機があった。連続試合出場世界記録保持者の金本が右肩の不調をずっと抱え続けて試合に出ていたこと。でも、金本がシーズン半ばで、その記録にストップをかけたということ。長年の四番としての軸がいなくなったということ。それによって、新井が四番を打つことになったこと。生来の四番器質ではない彼は、結果的に、タイガース移籍後最高の数字を残しはしたが、勝負強さ、四番の安定感というところは、結局、クライマックスシリーズまで。最後の最後まで、確実な安定性に欠けてしまった。それがダメージであるといっても過言ではない。しかし、金本の離脱という予想外の事実が起こったことにより、プラスの面も産まれた。そう、レフトの守備位置が空いたということ。金本が出続けるということは、1人分の出場機会が無かったということだ。そこで、金本不在を埋めるように、ルーキーの藤川俊介が日増しに活躍をすることに。日々成長する。他、浅井、林など。さらに、セカンドの平野がユーティリティプレイヤーであるということで、平野が外野に守備することにより、セカンドが空く。そこへ、大和、上本、坂、という若手の出場が増えたと言うこと。これは、金本がいないという欠如のマイナスから産まれた、今後のタイガースの将来への架け橋となる数々の芽が出たことに繋がった。現実レベルでの試合結果でも彼らは成績を残した故に、金本がいなくとも、最後の最後まで試合を続けることが出来たと言うことなのだ。
 やばい。
 語りすぎてる。

 他にも沢山伝えるべき、語りたいべきことがあるが、最後にひとつだけ、ということにする。絶対的守護神、藤川球児がシーズン通して絶好調という日がほぼ無かったということも、今年のタイガースの決定的勝敗にかかる事実であったことを伝えよう。振り返れば、岡田監督の時代に、今となれば当たり前になった、投手の継投。JFKと言われた戦略があった。それで2005年は優勝した。先発完投というピッチャーへの比重を後ろに持って行くという手法。先発投手はなんとか6回まで投げ持てばよい。その後に、左のウィリアムス。右の久保田。そして最後に藤川球児という継投。これが、ぴしゃりとはまった時代があった。この投手継投策は、多大な影響を他チームにも与えている。現在のホークスを象徴するかのように。摂津、ファルケンボーグ、馬原、という3投手。どうやらSBMというらしいね。名前からしてそうなのだ。さらに、ドラゴンズもちゃんとした名前はないが、中継ぎ投手の成長と、その後を押さえる、浅尾と岩瀬の完璧さ。それが確定し、活躍したからこその強さに繋がる。だが、だ。産みの親の、久保田と球児が今年は大活躍どころか、活躍できなかった。今日の試合も、久保田と球児で5点取られて負けるという。今年を象徴するかのような試合であった。久保田は、シーズン初頭に活躍。中盤は調整。終盤にそこそこ活躍するが、結局安定感としては望めなかった。では、球児は。
 JFKの話に繋がるが、タイガースが確立したモノであるが故に、どうしても、先発が6回以上投げ続けられないという事実が沢山転がってきた。でもウィリアムスはいない。その穴埋めとして西村の活躍もあったが、経験不足は否めなかった。故に、久保田の不調もあいまって、球児が9回1イニング限定という。押さえのピッチャーでは当たり前の起用を度外視する場面が沢山あった。8回から2イニングとか。どうにもそのような未経験の事実が彼の何かの歯車を狂わせてしまったように感じる。さらに、今年のタイガースを象徴する、打って勝つ野球。マートン、平野、鳥谷、新井、ブラゼルという5選手が3割バッター。さらに、ブラゼルは来日2年目に花開き、最後の最後までラミレスとホームランのタイトルレースを争った。タイガース的には、最強の助っ人、バース以来の活躍という。そんな打撃で勝つ野球であったが故に、接戦で勝つ場面というのが極端に減った。イコール、1点差2点差で逃げ切る野球。守り勝つ野球での出番が減った。イコール、球児の場面が極端に減ったのだ。手に汗握る投手戦。球児が抑えて勝つ野球。その場面がほとんど無かった。その緊張感を彼がシーズン通して、保ち続けるには、やはり実戦であるはずだが、その経験が希薄になったが故に、どこかで彼の歯車を上手く合わせることが困難になってしまったのだと思う。今日もそうだった。シーズン終盤の大事な場面でも打ち込まれた。それが、ギリギリのラインで優勝を逃したと言っても過言ではないだろう。

 他にも色々あるけれど。
 タイガースや野球に全く興味のない人にとって見れば、これは駄文でしかないはずだから。この辺でやめておきます。

 とにかく、ここ数年のタイガースは、優勝戦線に顔を出すようになり、毎年楽しく野球を見れるようになったと言うことだけでも、幸せに感じなければならないなぁと改めて実感しております。

 来年、期待してまーす。

 では、良いお年を(笑)。


 P.S.
  F1鈴鹿GPでのカムイの快走も語りたかったけど。これこそマニアックになりそうなので、遠慮しました…。

2010/09/28

soultoday101001

いやぁ。寒い。
俺のギャグより、外は寒い。

体がおかしくなっちゃうじゃないか。
気もおかしくなっちゃうじゃないか。

でも音楽があればいいのだ。

soultodayは今週末ですよー。

来月は、保坂壮彦、外でいっぱいはしゃぐの月です。

アルコホリデイ、BERT BURN、諸々。

遊びに来てね。

詳細は↓
ここから飛んでけーーーーーーー!!

タイガース勝ってね。

2010/09/23

ああ、愛しの、阪神タイガース。

そういえば、最近、twitterでつぶやかなくなってしまった。
つぶやいているみなさん、元気ですかー。



思い起こせば、幾度となくブログで阪神タイガースへの愛情をここぞとばかりに書き続けていたにもかかわらず、シーズン終盤、もうどうにもこうにも天王山を迎えている時期になっても全然書き記していなかったので、久し振りに愛するタイガースのことを書こうかなって思っていた矢先、ドラゴンズに二連敗…。鬼門の名古屋で二連敗…。ジャイアンツも勝利して、三位に転落…。明日負ければドラゴンズにマジック点灯ですよ…。
しかーし!
パリーグの例もありますし。まだまだわからん!ここで弱音を吐いてどないすんねん!(川藤風)ということで、明日以降、タイガースにとって何が必要か?ということを書き殴って行きます。

その1
「先発予想の能見が先発の責任を果たす」
今日の、久保のピッチングは圧巻でしたよ。今シーズン一番と言ってもいい。でも点を取らなければ、勝てないのよっていうことでしたが、明日こそ、明日こそ、勝つ!にはやはり先発投手の出来が作用するのです。そこで、能見。怪我から復帰して、今、久保とルーキーの秋山(最高だぜ)と共に、信頼のおけるピッチャーが先発予定。とにかく、6回まで。贅沢言うなら、7回まで。1-2点で。贅沢言うなら、0点で抑えてくれ。その後は、今日の屈辱を晴らすべく、久保田が8回。球児が9回。ぴしゃりと抑えるから。よろしく!

その2
「マートン&ブラゼルよ、怖がるな」
昨日は、だめ押しのエラーをマートンが犯した。今日は、サヨナラエラーをブラゼルが犯した。しかも、打撃においても、ここ数試合不振を続けている。そうは言っても、マートンに至っては、このままシーズンを無事に過ごせば、対岸の火事の如く記録を塗り替えようとしとる、イチローが、かつて日本に居たときに築いた、シーズン安打記録「210安打」を超える可能性大だ。さらに、ブラゼルに至っては、タイガースファンでなくとも有名な、史上最強の昭和の助っ人、ランディ・バース以来のシーズン40本塁打を軽々と超えている。この3人が居たからこそ、今年のタイガースはここまで来れた。だから、しょうがないとは言いたくない。だからこそ、彼らの生真面目で、誠実な性格が、この土壇場の首位決戦という重圧に押しつぶされているようで仕方がない。あっけらかんとしている、何考えているか解らない助っ人外人選手よりも、さらに日本野球を熟知しようと歩み寄り、個人記録よりも、「For The Team」と、いつでも口に出していた、愛すべき2人が、この、プロ人生初とも言える重圧にやられている。気持ちはわかるが。気にするな。怖がるな。あんたらがいたから、タイガースは強くなったんだから、解放されろ。解き放て。

その3
「平野は進塁打、鳥谷はタイムリー、新井はホームラン、城島もホームランをねらえ」
とにかく、タイガースは今年の野球を悔いなくやってほしい。それは、猛打。平成のダイナマイト打線って言われてるんだから。それにふさわしい成績を残しているんだから。チーム打率は.290に近いほど。一番マートンから、六番城島までのバッター達、6人がほぼ三割バッターだ。とにかく打力で打ち勝ってきたんだから、もう、小細工無しで、打ちまくって欲しい。ここまできたら、打開策とか、戦術とか、必要ない。自らの、魅力を。自らの、スタイルを。貫いて。闘って欲しい。

以上。


結局、この時期になると、根性論とか、気合とか、やる気とか、熱意とか、そういうことになってしまうから、本当は、日本一冷静なタイガースファンを自負する自分としては、江川ばりの解説をしたかったんだけど、時期が時期だけに、もうどうでもいいのだ。

去らざろうえなかった、赤星のために。
去る決意を固めた、矢野のために。

優勝して欲しい。

CSなんて糞食らえだ。

おこぼれなんていらない。

リーグ優勝をして。

85年以来の日本一を。

是非、叶えて欲しい。

2010/09/16

先祖返り。

今日、保坂史上初とも言える、とある占い師さんに、占ってもらいました。
ん〜、あてやがるのだ。これがまた。あててきやがった。
どうやら俺はここ3年間、個人的な厄年であったと言われた。
でもって、8/7かから徐々に光が差し込んできていると言われた。
う〜、納得しなくてはならないのか。
まあ、他にも色々言われたが、「ひみつ〜」(by 江角姉さん)。
恐るべし、占い師。
ま、未来は明るいってことよ。
そらそうよ。
でもって、またもや、宮崎あおいが、CMで、ブルーハーツってる。
賛否両論、受けて立つ。
おれは、賛のほうなのだ。
どんな形であれ、ブルーハーツの旋律が、お茶の間に届くことはいいことだ。それで、ブルーハーツのメンバーだった人達に、お金が落ちることはいいことだ。ロックンロールは貧乏には出来ない音楽なのだ。お金がないとギターも買えない。スタジオにも入れなければ、ライブも出来ない。そういうことなのだ。成り上がりってなもんで、ロックンロール最高っていうのもわかってみるが、でも、やっぱりそこそこのお金がなければ出来ないのがロックンロールなのだ。ましてや、大衆に向けて放つには、そこそこのお金じゃ足りないのだ。もっともっと必要なのだ。だからこれはこれでいいのだ。彼女の唄がどうのこうのとか、ブルーハーツの魂が売られたとか、そんなのは二の次だ。馬鹿馬鹿しい。いいのだ。

まあ、こんな発言も、今の俺が、先祖返りのごとく、毎日のように、ブルーハーツを聞いているからこそであるからして。

情熱の薔薇。

いいきょくだわこれも。

2010/09/14

愛するということ。

  愛するということ [単行本]
Erich Fromm (著), エーリッヒ・フロム (著), 鈴木 晶 (翻訳)

 随分、大袈裟な本をいきなり取り上げやがって、という声が聞こえてきそうですが、まあ、そんなに大仰でもないので、ちょっと付き合って下さい。ことあるごとに、愛がどうとか。さらに、「ALL IS LOVE IS ALL」とか言い続けている保坂でありますから、「じゃあ、愛ってなんだよ、おい」っていう突っ込みも受けるべきだろうと、最近思い始めたのです。しかし、今まで、そういう突っ込みってされたことがなくて。だから、その類の質問に答えることがなかったので。あまり発言をしたこともないし。自ら言いながら、愛というものを、感覚や、本能というもので片づけようとしたり、愛が全てだってみんなわかってるでしょう?というような無鉄砲な意識で今まできたけど、結局、自分で自分を突っ込まざろう得ない状況が最近ありまして。「愛ってなんだよ?」ってね。「お前解ってるのか?」ってね。というわけで、なんだろう…って自問自答していた矢先にこの本に出逢いました。
 最初に言いますが、別にこの本を読めば、愛の全てが解るわけではありません。説教臭いことも皆無。あくまでもヒントであり、あくまでも手段です。全てを論理的に愛について語っている本です。でもその論理的思考がとてもしっくりと来ました。ちょっと固く言うと、現代社会、資本主義・市場主義社会における愛の位置づけ。さらに宗教における位置づけ。または、人間の根本における生存に対する位置づけ。それらをとても明確に記しています。さらにこの本の原題は、「ART OF LOVING(愛は技術)」ということです。愛を技術であると言い切っています。この切り口の豪快さ。さらにその豪快さから突き詰める論理的記述がとても痛快であるのです。
 もしかしたら僕がここで取り上げるようなもんでは無いのかも知れません。この本の初版は、実は、1959年です。すでに50年以上の月日が流れています。でもここで語られている内容は全然色褪せていない。初版の件を知らなくても、全然今という時代で読める。もしかしたら初版の時代にはあまり受け入れられなかったのかも知れない。今だからこそ、50年の月日を流れて輝きはじめているのかも知れないって思います。

 親愛なるあなたへ。

 僕は愛がどうだこうだ言い続けていますが。

 どうやらまだまだ未熟者であり。

 大切なあなたさえも幸せにすることが出来ない馬鹿野郎なのです。

 そんな、僕にも、今、気付いたことがあります。

 愛が大切なことを教えてくれたのはあなただということです。

 恥ずかしい言葉をここに記すことは、とても勇気がいることですが。

 解き放った瞬間に、自分が解放されればと思い。

 記しました。


 なんちゃてー(笑)。

 これでいいのだ。

2010/08/29

なんとなく、あらためて、自己紹介。

どうも、保坂壮彦(ほさかたけひこ)と申します。

「ROCK IN JAPAN FES.2010」のDJ BOOTHで三日間DJをやらせていただいたのが直近の活動です。音楽雑誌「MUSICA」にて毎月ディスクレビューを書いてます。DJやらライターやらをやっている音楽馬鹿です。馬鹿が度を過ぎて、愛しすぎて、一回りして、馬鹿になった、音楽馬鹿野郎です。
「ALL IS LOVE IS ALL」
http://www.allisloveisall.com
というサイトで、この日記やらを書いてたり、写真を公開してたりしてます。
そう、最近、みなさんの目に触れることが無くなってしまいましたが、カメラマンも自称でやってます。

久し振りに自己紹介をしてみたら、こんな中途半端な感じになっちゃいました。
俺って何者だ。。。。

そうそう。最近、「俺って何者だ。。。。」っていうことを考えるのです。みなさんどうすか?あなたは何者ですか?

別に社会的に名乗れる肩書きがどうだこうだとかそんな薄っぺらいものではなくて、もっと、ずばっと自分を語れる何かがあるはずなのに、見失っているようでしょうがない。だからといって、自己探求とかそういう類のものではないんですよね。なんか、こう、しっくりくる自分ってものがあるはずなのになぁって。思うわけです。

最近、音楽を聴いていても、同じようなこと思います。

例えば、ロックってものは、時として、社会に対するアンチテーゼとして存在する力を持ったり、政治的メッセージを投げかけるものでもある。さらに、享楽的なパーティーピーポーを盛り上げるモノでもあり、部屋にこもってどうにもならない自分を慰めるベッドルームミュージックでもある。それぞれ、時代によって、大衆的にポップミュージックとして機能するロックは、変化するわけで、今挙げたようなロック以外のモノも、今までの時代を先んずるものとして機能してきた。そこで思うに、今、ロックに必要とされているものは、「俺って何者だ。。。。」というものを確認するものであるような気がするのです。
とはいっても、「俺ってこういうものだぜ!」っていう高圧的な、一方的なテーゼを突き付ける、胸焼けするようなロックではないのです。自分自身がなんなのかってことを考えるきっかけになるようなロックが今、必要とされているのかなって思うのです。再度書くけど、自己探求ではないのです。「きっかけ」としてのロックだと思うのです。今。
音楽は多種多様なものを表現する中で、決起集会のようなものもあるけど、全ての人間に通ずるものとしての、「きっかけ」を流布することもあるのです。それが一番いまキテるような気がするのです。

予感は、サカナクション「アイデンティティ」のリリースから始まります。アジカンの「マジックディスク」もそうです。そして、くるりの、絶対的に名盤になるであろう、「言葉にならない、笑顔をみせてくれよ」にもその予感は漂ってます。




特に、最近、刺々しく突き刺さるロックも現れていて。ダンス!ダンス!なロックも現れているけど。それらも、大袈裟な言い方をすると、「きっかけ」として機能しているのではないかとも思うのです。

今まで、僕達は、なんとなく、ロックに喚起させられていた時代が続いていたような気がします。自分はおいておいて、ロックが騒いでくれるから、それに乗っかれば、なんとかなるさ、って感じです。でも、もうそろそろ違うような気がするのです。主体的にロックに携わるということでもなく、ただ、ただ、ひたすら、「きっかけ」をロックが与えてくれる。それを全体的に浴びることが重要なのではないかなって。「モテキ」の人気もそうなのかなって。でも、実写版「BECK」はちょっと違うかな…って(※念のために言うと、原作自体がちょい過去のものになるから、時代性としてタイムラグがある気がするのです)。

きっかけ。

それをちょっと感じてもらえれば幸いです。

この日記の冒頭の僕の自己紹介も、何かのきっかけになればいいかなって。

というわけで、僕は、なんでもやる課の課長です。なんでもやります。なんでも受けます。
メール募集中でーす(笑)。

allisloveisall@gmail.com

2010/08/23

おわりのはじまり。ていうか。おわってないのかもしれない。

 HMV渋谷店が閉店というニュースはいろんなところで取り上げられてますね。今まさに日テレで閉店間際、シャッターが閉まる瞬間の映像が映りました。

 最近僕は、自分の経歴を惜しげもなく隠し事なく暴いていこうと思っておりますんで、色々なおわりのはじまり。を書き殴ってみようと思ってみます。

 大学卒業後、というか、就活しながら色んな企業の面接を受けました。まあ、振り返れば、大学に入った理由というのが、四年間、バンド活動が出来るからというとても緩い理由でもあり。四年間もあれば将来の夢を考えられるだろうという。勉学に励むということは全く考えていない状態で大学に入り。四年生になったときに、「さあどうする?」「この先」というタイミングで。バンドは続けていたけど、食っていけるような様では無かったので、ここでも取り敢えず企業に就職しましょうという、安易な考えで、色んな企業の面接を受けました。とはいいつつも、音楽が好きだったから、レコード会社関連を受けましたが、すべて落ちまくり。一般企業も落ちまくり。何故か。俺が悪いのか。それもあるけど、僕の就活時期は、所謂バブル後の残骸が社会に蔓延していた時代。数年前は、企業がこぞって「入社しな〜!」ってどんな輩でも手招きして採用していたというよき時代が過ぎ去った時期であったのもあり。落ちまくり。そんな中でも、こんな俺でも、ふと面接を受けて雇ってくれたのが、知る人ぞ知る、オクトパス・アーミーなのです。
 オクトパス・アーミー。未だに数店舗健在です。僕が入社した頃は全国で(海外も含めて)50店舗ほどありました。主にメンズカジュアルの所謂、アメカジなるものの発祥でもあります。しかーし。バブル崩壊というのもあり、僕が入社したころから斜陽化していたのであります。当時の勤務先は、渋谷店。スペイン坂の入り口ですな。今は、何があるんだっけ…。ちょうど坂の下の入り口の角地です。斜陽化していたといっても、渋谷店は本店みたいなもので、客の入りははんぱなくて。土日と言えば、ダンボールに詰まった洋服が平均100個朝一で倉庫から運ばれてくる。それを数時間でさばいて、その日のうちに売りまくるというお店で。それから色々ありまして、僕がいなくなった渋谷店はいつの間にか閉店。年々お店が無くなっていきました。考えてみれば、今日閉店したHMV渋谷店って近くだよね。当時は、クワトロにあった店によくいってましたよ。そのHMV渋谷店もね…。
 改めて。僕はHMVで働いていました。数年前まで。さらに遡ると、先に述べた、オクトパス・アーミー退職後に、WAVEで働いてました。国内資本のCDショップ最大というね。そのWAVEにいた頃も、本店と言われ、「何でも揃うCDショップ」と言われた、六本木店が閉店というタイミング。とにもかくにも「終わる」という現象になにかしらいつも関わっていたということなのであります。
 まあ僕の経歴を当てはめて、全て終わりに繋げるのもおかしな話だと思います。ファッションにしろ音楽にしろ、流行という、時代の流れに乗るか反るかという。そいういう立場にいる職業ですから。その場にいれば、自ずと、終わりがあるし、自ずと、始まりに立ち会うことも出来るはずですから。
 とはいいつつも、僕個人は、始まるというよりも、「終わり」に立ち会うことがどうしても多い人生であるのは確かなのです。それを、今日、また、HMV渋谷閉店という「終わり」を味わうことになりました。
 この日記のタイトルにも標しましたが、「おわりのはじまり。」とね、「なんとか世紀少年」なタイトルですが。「おわりのはじまり。」なんですよね。全て。そういうことを学んでいます。学び直しています。これからも学ぶでしょう。
 ちょっと大袈裟な例え方をすると、人間が死ぬことも終わりということです。この歳になると、やれ、じいちゃんばあちゃん、おじちゃんおばちゃん、と。親族だけでも色んな愛すべき人達が死を受け入れて逝きます。その事実を受け入れるとき、とてつもない「刹那」がやってきます。哀しみという「刹那」。その刹那を消すモノは、やはり「生」なんですよね。この歳になると、やれ、甥っ子だの姪っ子だの、友人知人の子供だの。無邪気に生まれ来る「生」に溢れるんですよ。そこにあるのは「歓喜」なんです。「歓喜」。
 
 「刹那」と「歓喜」。

 もしかしたら、僕の人生の中で、「歓喜」の比率が少ないのかもって思ってるんです。感じる力が弱くなっているのかも知れません。「刹那」を重く抱きすぎて、「歓喜」を抱く対象をどこかで取捨選択して、素直に受け入れることが出来ていないのかも知れない。そう思うのです。しかし、終わりがあれば始まりがあるということは絶対的な事実だから、始まりをもって浴びることが必要なんじゃないかなって思い始めてます。

 なんかこの日記、錯乱してますが、いっつも僕はこんな感じです。

 そうそう。僕は、満たされない「歓喜」を抱くために音楽を聴いているということなのだと思います。今、改めて、思いました。だから、終わりが見える音楽はあまり好まないんだなって。そう思うのです。
 どういう表現でもいい。何かが終わってしまった、終わることを知ってしまった音楽にとてつもない光り輝く希望を抱くのであろうと。

 そういう結論で、久し振りのブログを閉めようとおもいまーす。

 おそまつ。
 

2010/08/16

MUSICA

 音楽雑誌、「MUSICA」にて、今月号もレビューを書かせて頂いております。今月号は、くるり、FPM、石野卓球、WIREコンピ、シャーラタンズの5本です。「MUSICA」でのレビューは、2007年の創刊号から続けて、気が付けば、3年以上レビューを書かせて頂いております。今だから言いますが(というか、別に今だからというわけでもないのですが)、当時、HMVにて働いておりまして。店舗ではなく、ONLINEの方です。そこで、長年のおつきあいであります、鹿野さんから、「MUSICA」創刊の話を聞き、HMVとのコラボレーションをやりましょうという話になり、その延長線上も含め、レコ屋の一員としてのレビュアーという立場で書かせて頂くことになったわけであります。今だから言いますが(というか、別に今だからというわけでもないのですが)、実は、「snoozer」という音楽雑誌に一瞬(笑)だけ在籍したこともあります(宗さん元気ですか?)。音楽を語ることは僕にとって、DJと同じくらい興味深いものであり、生業として行きたいと思っていたものであります。そうそう。そういえば、フェスのDJをやらせて頂くきっかけになったのは、ロッキングオンの兵庫さんでありまして。そう考えると、色んなみなさんのお声がけに救われて今の自分がいるんだなって思うわけであるとともに、まだまだ40を手前にして、ひよっこでいる自分を咎めたい気持ちも沸き起こってきます。

 感謝なのです。

 こんな僕ですが。

 いつぞやか、出世払い出来るように。

 しますんで。

 もう少しお待ち下さい。

 っていいながら、いつまで待たせるんだとか。

 もう別に、待ってないし、どうでもいいし、とか。

 思っているかも知れませんが。

 なんとかやりますんで。

 よろしくです。

2010/08/10

「ROCK IN JAPAN FES 2010」を終えて。

 トップの写真を変えました。

 DJ BOOTHの裏に常設されているビニールテントの控え室から撮った、夕陽輝く景色です。3日間連続の猛暑が続いた今回のフェスは、夕方になってようやく落ち着くことが出来た。あまりにも暑い陽射しが心も体も蝕むようで。

 「ROCK IN JAPAN FES 2010」終了しました。

 個人的な区切りとなる10年目のフェス。蓋を開けてみれば、金曜日からの猛暑と伴って、史上最強の入場者数。例年、金曜日は土日と比べて多少、お客さんの人数が少ないイメージでしたが、そんなことは全くなくて。連日連夜、DJ BOOTHは大盛況で幕を閉じました。
 改めて、フェス主催者のロッキングオンのスタッフの皆様。DJ BOOTHを3日間支えて下さった、音響映像関係、セキュリティー関係、総合的なとりまとめをして下さったスタッフ、皆さん全てに感謝の意を捧げます。 そして、連日連夜、DJ BOOTHに足を運んでくれた皆様に最大級の感謝の意を。さらに、常になり響き渡った全ての音楽に敬意を表します。
 印象に残る出来事は多々あったけど、とにかく猛暑が体を痛めつけてくれました。アラフォーのおっさんにとって、今年の暑さはきつすぎた…。楽屋やら、どこでもそうだけど、会う人会う人と交わす会話のまず一言目が「暑いっすよね〜」であったことも象徴しています。さらに、先に軽く触れましたが、金曜日から怒濤の入場者数の波、波、波。予想以上の人の数に、どきどきしたというか、この戦いが三日間続くのか…、と。改めて、DJ BOOTHが背負っていく、果たしていく、使命の重さを初日からずっしりと受け止めることになったことは、今年が初めてといっても過言ではないです。



 そうそう。楽屋と言えば、長年やってますと、色んな人とひたちなかで再会することが多くて。でも、大体、三日間に渡ってひとりひとりと、出逢うことが多いんだけど、今年は何故か初日にどばっと。ほぼ全ての知り合いと再会という奇跡もあって。なんか不思議な感覚に陥ったなぁと。今想い出しました。
 改めて。そうです。連日、1日に3回ステージに上がりました。合計、9ステージ。1ステージ約50分だとすると、450分。7〜8時間もの間、DJをやったのだということなのです。今こうやって計算すると凄いことだ、と、再確認。
 今年の目標は、燃え尽きる、ということが第一。さらに、忘れ物はしない、ということ。さらにさらに、10年の集大成として、今まで得たものを噛みしめつつ、それを今年の三日間で全てを出して、何かしらの標を、何かしら意味のあるものを残すことが出来れば本望であると。それを目標にしていたのですが、出来たかな? うん。出来た、と思ってます。



 全てのステージでの全てのDJでの全ての音楽に全ての感情をぶつけて記憶に残して行く三日間でしたが、やはり一番素晴らしい記憶として残った時間帯は、二日目のオーラスのDJです。今までも幾度となく、トリの時間をやってきたけど、とてつもなくびびります。保坂を知ってくれている人がどれだけなのか。ライブを見終わった最後の最後にDJを楽しみに来てくれた人、初めての人をどれだけ楽しませることが出来るのだろうか。そんな不安を持ち合わせてステージにあがるのが最後の時間なのです。
 僕は、DJをするときに、基本的に選曲を決めることがありません。イメージとしてなんとなく頭の中に描いて、ステージに上がります。ぶっつけ本番みたいなものです。でもそれが一番リアルタイムな音楽を生々しくフロアに流すことが出来ると思っています。自分の直前のDJが最後に流したトラックや、最後に残した空気感は、前もって知るよしもないものだから。それを感じた後に、自分が最初にかける曲を決めて、その波をフロアにいるお客さんがどのように受け止めて、どのように僕に向けて返してくれるかを感じながら、ひたすら、選曲、選曲、スピン、スピンしていくのです。なので、他のDJよりも、曲中のパフォーマンスがおろそかになっているかも知れません。でも僕は必至なので。次の曲を選ぶのに。でも、手抜きはしていませんよ。ちゃーんとやってるのでありまーす。



 そうそう。二日目最後のDJ。このときは、一曲目と最後の曲だけはばっちり決めていました。バンプの「天体観測」を一発目に。サカナの「セントレイ」で大団円を。それだけは果たそうと、決めていました。何故か。それはまあ、私の思いが詰まっているものでして。その場にいた人は感じてくれたかも知れませんし。知れなかったかも知れませんし。まあ改めて言うことでもないので…。でもって。それ以外の、間の選曲はやはりいつも通り全く白紙。それで勝負したのですが、蓋を開けてみれば、自分もビックリするぐらいの選曲をかましていました。
 ちょっと大袈裟にいうと、長年DJをやっているとたまに、降ってくる時があるのです。怪しい言い方ですみません。降ってくるって、例のあれです。降りてくるという言い方でもいいでしょうか。そうです。まるで、誰かに操られているかのように、自分の意志で選曲しているようでしていないような。選ばされているような感覚になる時があるのです。それが今回、二日目のDJにやってきました。降臨です(笑)。それはそれは、とても幸福な時間で。降ってきた感覚と共に音楽と一体になれる。そしてフロアを埋め尽くしたお客さんと一体になれる。これほど素晴らしい体験はありません。それが最後の最後でやってきて。10年間やり続けて本当によかったと思ったのであります。
 まあ、このブログで、何回も過去のフェスを振り返りながら、その度に伝えていることがあります。そう、僕は、ミュージシャンではありません。ましてや、無から有を産み出すことをするDJでもありません。他にクリエイティブな活動をしているわけでもないので、我が身を打ち出してパフォーマンスをすることも出来ないのです。だから、ただ、素晴らしい音楽を。自分で本当だと思った音楽を。嘘の音楽は絶対的に排除し。目の前にいるオーディエンスに届ける、架け橋的DJとして存在していると思っています。音によって、人と人を繋げる。音は有史以来必ず人の側に存在してきたものであるからして。ましてや祝祭空間という場所では絶対的に必要不可欠なものであるからして。その場を、より良く。その場にいる人、たった1人にでも、幸福な瞬間を、音楽を通じて感じ取れることが出来るのならば、それは、僕にとって本望であり。架け橋として人と人を繋ぐ使命をもった僕にとって最大級の至福であります。そんな瞬間が、例年以上に多くやって来たフェスでもあったなぁと思います。



 他にも沢山の想い出が残りました。

 沢山のものを刻みました。

 届けました。

 音楽は素晴らしい。

 人がこの世にいる限り。

 音楽は決して消え去らない。

 ならば音楽で一喜一憂するべきである。

 言葉では届けられない、目に見えない感情を。

 音楽で僕らは感じるのです。

 そして、また明日から、歩くのです。

 やりました。俺。

 もう。やりきりました。

 ありがとう。

 ほんとうに悔い無し。

 ありがとう。


※保坂壮彦へのメールは下記まで。DJの感想募集中です。
allisloveisall@gmail.com

2010/08/05

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2009〜2010へ。

 とうとう明日ですね。

 あえて去年のは振り返りません。

 明日以降の三日間がどのような景色になるかで。

 去年の想い出が変わってきそうだから。

 保坂壮彦、10年目の夏です。

 色んなものを区切ります。

 ひたちなかよ、待ってろ。

 ひたちなかで会える人たち。

 保坂を捕まえて下さい。トトロよりちょっと痩せてます。

 主な更新は、twitterになりそうです。

 では!

2010/08/03

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2008

 ちなみに、日記のトップの画像を変えました。これ、今年の春に一人旅で伊勢に行ったときにとある神社で撮影したモノです。いわゆる、今的にいうと、パワースポット扱いされる場所です。あんまし、パワースポットって言いたくないんだけど。だって、パワースポットって結局なんだよ?って感じだから。そんなもん昔からあるし、とっても並列的な扱いになりすぎてて、言葉の意味が曖昧で、力あるモノ全て、モノだろうが人間だろうが、とにかく御利益がありそうだとか、気があるとか。人それぞれにすげぇって思ったことを、パワースポットという言葉ひとつで集約して並べ揃えてしまうというのがとっても嫌なのだ。まあ、こういう言葉の使い方というか、ジャンル的なものを確立させて、そこに付随するものをまとめてしまって、個性を消して、扱いやすくするのが日本人特有の文化でもあるからね。でもやだなー。

ということで。
いつものコーナー。

振り返ります。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2008】
 2年前ですか。最近になりました。ようやく。この年で今振り返って、一番強烈な想い出となっているのが、岡田義徳君のDJですかね。
 フェスの直前に川村カオリさんがお亡くなりになり。親しくしていた岡田君が、川村さんへのリスペクトと、捧げるDJを繰り広げたという。その姿はまさに神々しかったというか。川村さんが大好きだった曲を、岡田君がパンクスタイルでひたすらスピンした。それも、ブースに入り込んでではなく、リモートコントロールを使って、ステージ上を縦横無尽に徘徊し、ひたすらスピンするというスタイル。途中から観た人は、「なんだ?」となったかと思います。でも最初から観ていた人は、かなりぐさっときたことがあったのではないかと思います。
 短くなりましたが、今回は。

 保坂壮彦日記でもこちらでまた書いてます。

 覗いて下さい。



 

2010/08/01

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2007

 ここ最近で気付いたことは、このブログでの自分の文章が荒れてること(笑)。何が荒れているかというと、句読点の打ち方や、口述的なおかしな表現が増えてることです。何でこういう風に最近なってしまったのかわからないのですが、改めて最近の日記を読み返すと、とてつもなく読みづらいことに気付いてしまったので、今日からちゃんと(?)した文章に戻そうとして試みているのですが、みなさんどうでしょうか? 今のところ読みやすくなっているでしょうか?

 でわ。

 振り返るコーナー。

 ていうか、フェスまでもう日がない。。。。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2007】
 様々な個人的な事情も重なって、色々な想いが錯綜していた年だったような気がします。この年くらいから、自分の手作りTシャツを卒業して、soultodayのオフィシャルTシャツを販売するようになったような気がします。全てが、気がします、な感じになってしまいそうですが、記憶というモノはそういうモノでいいような気がします…。
 この振り返りの文章中で言うのもおかしな感じかも知れませんが、最近、知人と話をする機会があり、その中で、自分の忘れかけていた感覚が蘇ったことがあったのです。それは、とある話の内容で、知人がとってもポジティブな発言をしてきて。その発言を読み取って、僕は、すぐさま、「ポジティブだね〜」と反応してしまったのですが、そのやりとりを数年前の自分に置き換えると、多分、そのような言葉の反応ではなく、「なるほど〜わかる〜」と発言していたような気がしたのです。ようはなにかというと、自分の中で、ポジティブな反応がとっても薄くなってきてしまったようなのです。年を重ねるというのは、いいことでもあり、結構難儀なことでもあるのが、「知ってしまう」という経験値。知りすぎると自分の経験則で感情さえも動いてしまうということ。数年前なら、反射神経のごとく、良いモノは良いと。素晴らしいモノは素晴らしいと。素直に感極まることが多かった気がするのです。そういう自分に、些細な知人の言葉によって、気付いてしまったのです。
 フェスのDJもそうなのかなとこの年になって思います。当たり前のようになってしまったり、慣れてしまったり、予定調和という一番嫌いな言葉さえも引用してしまうことにもなってしまうこともあるのかなということです。初期衝動とまでは行き着くことは出来ないかも知れませんが、絶対的な感動や、本当の喜びというものは、瞬間瞬間、一生に一度しかやってこない、同じものは二度とない、だからこそ、慣れ親しんだ場所であろうが、そのステージに上がるのであれば、必ず新鮮な気持ちでいるべきだと。
 経験なんて関係ない。出続けていることが凄いことだなんて思っていないけれど、心のどこかで、俺って凄いって思っているかも知れない。驕り高ぶるのは嫌いなのだが、どこかで、心の隙間に入り込んでいるかも知れない。そう思い始めたら、自分の純真さと、真摯さの揺るぎなさに少しひびが入っていることに気付きました。さらに、経験と慣れを元に、惰性という怠惰に逃げてしまっているかもしれない自分もいたり。とにかく、なにがあろうとも、素晴らしい場所で、素晴らしい人達と、素晴らしい音楽を届け、素晴らしい笑顔と涙と感動と歓喜を分かち合える幸福を忘れてはいけないと。そう思い始めたのでございます。

 これって全然振り返りじゃないかも知れないけれど。

 この年を振り返り始めたら気付いたことと決意なので。

 記します。


 あとは、こちら。

 当時の僕の言葉を読んでやっていただければ幸いです。

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2006

 気が付いたら、あれなのね。フジテレビのCSでフジロックの生放送やらやってんのね。今、今日の再放送をやってて。charがフィールドオブヘブンで演ったライブのビデオが流れてる。いいねぇ。ヘブンでcharなんて。酔うねぇ。こうやって自宅で会場の雰囲気を味わえちゃうっていいねぇ。行けないっていうストレスも少し晴れてきましたよ。えええ。

はい。でわ。フェスはフェスでもジャパンフェス。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2006】
 やっぱりこの年は、矢沢永吉さまでしょうかね。フェス自体のエポックは。僕も観ましたよ。最初だけ。ステージの両脇からハーレー(?)に乗った男の人が、バイクの音をぶんぶん鳴らしてね。とにかく凄かった。あと、またもや、この年から、ステージがひとつ増えたんっすよね。WING TENTね。そうか…。もう4年前になるんだね…。WING TENTが出来て…。まだまともに行ったことがない。WING TENTに…。遠いよね。DJ BOOTHからね。だとしても行かないなんていけないことだ。今年こそ、全ステージクリアしようかな。とはいいつつも、遊びに行っているわけではないからね。そうそう。体力的に無理ー!!ていうことがあったりして、行けないステージもあると。あたりまえよねー。出演者だからね。
 で、

 で。

 で、

 今まで通り、ここで語るべきですが。2006年を。なのですが。この年くらいから、保坂壮彦、ブログという名の日記という名のブログを書いておりまして。まあ、以前から書いていましたが、フェスに関して、その時の想いをつらつらと、その時の熱い思いとともに書いた文章が、この年くらいから存在しておりまして。是非、それに目を通して下さい。

こちらです。

熱いっす。

そして。

自分でも忘れていた何かを。


想い出さずにはいられません。

2010/07/30

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2005

明日は隅田川の花火大会なのです。
まだ生の花火は見ていない。生の花火はひたちなかまでとっておくのだ。
じゃあならば隅田川をなぜ一押ししているのかというと。テレビでもやるしね。だしね。コンクールがあるでしょ?知ってるかな。全国(?)の花火師が競い合う、やつ。そこにね、毎年遠い親戚が出てるのよ。でもいっつも入賞しそうでしない、みたいな。それが楽しみだから。明日テレビで見るのだ。自分が幼少の頃にね。その遠い親戚の家に行って、「花火ちょーだーい」ってって。手持ち花火を頂いたりして。それを自宅に持ち帰って、花火を、やる、みたいな。それが保坂家の風物詩だったりして。そんな一家団欒を想い出すにもいい機会なので。ね。
では。
振り返ろう。
フェスを。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2005】
 自分から10年間を振り返るといいつつも。10年というものが、これほどまでに濃密で、長い期間であったことを、身に染みているのであります。このブログで。はい。
 この年から、ライブステージが三つになりましたね。サウンド・オブ・フォレスト。これはかなり革命的な出来事でした。ステージが増えるということが少しずつ話題になったときに、「どこに創るの?」という素朴な疑問がわき起こってきて。したら、「森のところに、創る」ってなって。すげぇなぁって感じたことを想い出します。それと、当初、あそこに、DJ BOOTHを移そうかい?みたいな話も出たとか出ないとか、そういう噂もあって。ちょっとどきどきわくわくしていたのです。でも、変わらずDJ BOOTHは場所を変えない。それがとても嬉しいことでもあります。あの場所。グラスの入り口にあってこそのDJ BOOTHなのです。この感じ、わかるかなぁ?わかってほしいなぁ…。
 DJ BOOTHは、この年は、戦場であったのです。何故か。それは、お笑い芸人の登場がそうさせたのであります。知っている人は知っている。知らない人は全然知らないこと。実は、私達、レジデントの3人衆は、DJをやっているだけではなくてね。毎日ね。裏方とまでは言えないけれど、ゲストのDJ様たちを紹介したり、何かトラブルがあったときに対応するように、手分けして準備していたりするのです。これは未だにやってます。だから大変なのです。でもって、この年が、戦場だった理由を改めて。芸人さんがDJ BOOTHに出るということになり。何が戦場だったかというと、我々、DJですが、喋るDJじゃないのに、芸人さんの呼び込みという役を仰せつかってしまったのです。「●●さん、どうぞ〜!」的な。これが大変で。だって、司会者じゃないし。ネタとネタの間の話術で場繋ぎなんて出来るわけ無いのにやったのです。さらに、芸人さんの出ばやし。知ってます?出ばやし。わかりやすく言うと、M-1グランプリでの、あの、「ヒズゴゴゴゴゴゴー!!」的な。あの曲が流れると芸人さんが出てくるという。そういう音のことを出ばやしという(ちなみにあの曲はファットボーイスリムなんです。余談)。それをですよ。我々レジデントが選んでかけていたんです。芸人さん持ち込みじゃなくて。「なんか、出ばやしっぽくて、ロックっぽいのお願いします」って言われて。そんなことやりつつ、司会業をこなす。さらに、DJをやるという。戦場の何物でもないばったばたの現場でした。今想い出しても汗が滝のように、脇からしたたり落ちますよ。
 そうそう。この芸人さんの登場って、全てがそう、とはいわないけど、後の、現在の、LIVE STANDへの架け橋になっていたのですよ。そう考えると凄いよね。あの場での芸人さんのパフォーマンスがあってこそ、オールスタンディングでのお笑いの祭典が産まれるヒントがあったという。全ての原点があそこにあったとまでは言わないですけれど、そのひとつの場になっていたという、DJ BOOTHにて躍動させてもらっているというのは、ほんと、感謝の一言です。
 てな感じで、芸人さんネタだけで、この年を振り返るのを終わってしまいそうな勢い。ですが。他の個人的なトピックを上げるとすると、RYUKYU DISCOかなぁ。後に、普通のステージでライブパフォーマンスをやってますが、彼らのパフォーマンスは最高でしたね。DJ BOOTHでの。くる〜!って感じで。琉球音楽とテクノの融合は、やってそうで誰もしていなかったということも含めて。あの灼熱の場で、とっても映えたのであります。
 本当は、事細かく想い出せば、もっともっと、出てくるはずなんですがね。こういうタイミングで、この場所で、書くことで、ぱっと想い出すことを、その勢いでつらつら書く事自体に意味があると思っているので。詳細調べれば、フェス増刊号を開けばいいことですがね。それはちがーう。ということで。2005年を振り返るはこれにて。おしまい!

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2004

とうとう、RIJFES開催まで、後、1週間ですわ。
早いっす。
この1週間前となると、色々と、そわそわしてくるんですよ。
どっきどき。
あー、フジロックいきてー。

はい。
振り返ります。
つーか。
1週間で、後、6年間を振り返れるのか?俺。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2004】
 この年にて初めて、三日間のチケットがソールドアウトだという。その事実がこのフェスの規模感が最大限に膨れ上がった証明であるということだと思います。それに同調するかのように、DJ BOOTHも基盤が出来たというよりも、次に繋がる様々な布石が生まれ、3人体制となったレジデントも盤石になりつつあったという年ではないでしょうか。ほんと。年を重ねるごとに、ブースのキャパシティも増えていき。認知度もかなりの上昇気流に乗っていたと記憶しています。
 そうそう。この年から、昨年ちょろっと出演があった、お笑いのステージが、三日間通して、開陳されたんですよね。その中で、あの、ダイノジがネタをやる芸人として初出演しているんですよ。まだDJではないのです。僕の記憶が確かならば、オオチくんがエアギターをやったりやったりしてたような気がする。こちらのタイムテーブルをごらんあれ。
 あとね。個人的な衝撃度でいうと。僕達が年を重ねて積み上げてきた場所に、DISCO TWINSと、FPMの田中さんが出演したという事実がとてつもなく感慨深い思いになったことを思い出します。ロックのフェス。日本のロック中心のフェス。そこにおいて、それらの音楽をかけまくるDJが成り立つということになった磁場に、テクノ、ハウスのDJが参戦してくれたということ。招く立場である僕にとってもなんとも嬉しい事実であり、最高のパフォーマンスを浴びた瞬間でした。
 さらにこの年には、COUNTDOWN JAPAN 03/04が行われた年であって。冬フェスへのチャレンジとその勢いももって夏に挑んだということもあり、さらなる飛躍を求められるであろうという自負と責任感も更に芽生えてきたと思います。ある意味、というか、どの年のフェスも、ターニングポイントになっているかと思うけど、この年が一番ターニングポイントになったのではないかと。来年以降ライブステージがひとつ増えるということや、チケットのソールドアウトが当たり前のようになるフェスの第一歩がこの年であったし。
 なんともかんとも。感慨深い。

2010/07/22

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2003

つくばロックフェス、終わりました。
丸二日間。有り得ないくらいの晴天で。厚すぎて熱すぎて。もろに直射日光を浴びながらのDJはかなりしんどい感じでしたが、とにかく晴天であったことと、とにかく、素晴らしい音楽が鳴り響いていたこと。とても快適な森でした。
去年と比べてとかそういうのは多分いらない言葉だと思うのです。伊香賀守という男が体を張って、足を稼いで、魂をぶつけて、開催した、つくばでの二回目の野外フェス。それにともなって、様々なアーティスト、素敵なスタッフ、素晴らしいオーディエンスが集った。そこで産まれた音楽は、決して二度と再現が出来ないもの。それはどこのフェスでも同じことだけど、だからこそ、その場に行って、体感することはとても大切な音楽体験になる。うん万人というフェスが素晴らしいとか、世間的に認知されているアーティストが出演するのが素晴らしいとか、そういう尺度では、計れないものが、昨今のフェス事情には産まれてきていると思う。その一端となっているのは事実であり、数ある中のひとつなのかもしれないけれど、もしあなたが、つくばを選んだ人ならば、それはあなたの中で、最高の音楽体験になったはず。を提供する側は、あなたという人たちが、ひとりずつ、ひとつずつ、大切なものを感じてくれることに感謝するから。そんなフェスのいち、DJとして、二年連続参加したことを誇りに思います。

つーわけで。
恒例の企画。
ジャパンフェスのDJを振り返りマース。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2003】

個人的には、3年目となる年でしたね。この年から、前田君が加わり、3DJでのレジデントとなるという。今の体制の初年度になるということでした。片平君と試行錯誤した場所に、新たに前田君が加わると言うことで。規模感が大きくなるということを証明している事実で。また再度、チャレンジしていくべく道が開けた年でありました。
ちなみに、超個人的な話になるんですが、この年は、100sの小野眞一がゲストDJで出演。彼がとてつもなく泥酔したという逸話は有名な話しで。これを機に、「小野眞一泥酔DJ」というものが確立し、後のアルコホリデイへの布石になったということなんでろうなと思うわけであります。
こちらのタイムテーブルを改めて見ると。いい意味で、ゲストDJも含めて、来年以降、または、年末フェスが開催されるということも含めての、色々な布石、試行錯誤が含まれていたんだなって思います。フェス恒例のハヤシ君DJや、曽我部さんもいるし。お笑い芸人が出てたりしてるんでね。この年はある意味ターニングポイントだったのかなって、思います。
うーん。なんだかんだいいながら。10年を振り返るのは結構大変ですなーと今になって思い始めた俺。やばいかも。なんか思い出せないかな。。。。
そうそう。
こちらを御覧あれです。当時のラジオ番組で片平君と語ったのです。その際のセルフレポートであります。これを読むと、やたら、「熱い!」という言葉を感じますな。それだけ興奮していたということでありますな。

まだまだ続く。。。。

2010/07/12

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002

もうそろそろ梅雨明けてほしいんだけど。どうかな。まだかな?もういやだよ。むしむしするのじめじめするのやだよー。

つーわけで。ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTHを振り返る企画、第二弾。ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002を振り返ってみたいと思います。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2002】

この年から、DJ BOOTHに、レジデント制が導入されたわけですね。片平君と二人です。この年から三日間になったわけですね。フェス自体もね。でもまだステージは2つ。グラスとレイク。でも三年目ということで徐々に規模感がアップしていった時期。とにかく、レジデントという大役を仰せつかったということ。でもって、この年が色んな意味で、自分のDJ人生においてかなりのターニングポイントになったのは必至であります。2001年にて、初めて大人数の前で、野外で、フェスで、という状況でDJをやることになって、やった。でも、まさか、もう一度というか、続けてそのような状況でDJをやるようになるとは思ってもいなかったわけで。でもって三日間ぶっ通しで出演という。これはかなり参りましたね。やる前からどうしていいのかわからない状況が続いていました。こちらにてまたもや初々しい保坂の日記が掲載されております。かなり詳細に。改めて自分でこの日記を振り返ってみると、忘れていた想いというものも沸き起こってきましたよ。
ある意味、今ある、DJ BOOTHの基礎となる感覚。選曲に至るまで、この最初のレジデントで確立していたのかもしれません。いや、確立というよりも、片平君含めて、あの場所で如何にオーディエンスとともに祝祭空間を共有するか?ということに対しての試金石というものを掴んでいたのだなぁと思うわけです。先の日記にも事細かく記しておりますが、フェスのDJということが無ければ、あのようなスタイルは決して自分のDJでは確立しなかったという。日記の中では、「割り切り」というようなたとえで記しているけど、それは全然悪い意味ではなくて。DJとしてのエゴというものと、オーディエンスが欲しているモノに対する共有という柵を如何にとっぱらうか?という度胸と挑戦がこの最初のレジデントの経験で試されて、それが年々形になっていったのだと、改めて感じるわけです。
そうそう。DJ BOOTHというとゲストDJの豪華さもありますな。この年はどんな面子だったかというと、こちらをごらんあれです。なんか、不思議な感じでしょ?今思えば。ポリのメンバーがこの年から参加しているという事実以外、今、常連になっているアーティストのみなさんがまだ顔を出していなくて。どちらかというと、ロックなDJという感じでもなく、アーティスティックな感じが強い。こういう歴史を踏まえて、今に至るというのをDJ BOOTHは歩んできたんですよね。とっても懐かしい。このときに参加してくれたゲストのアーティストのみなさんのプレイが走馬燈のように駆け巡りますよ。
というわけで、2002年というのは、レジデントDJが始まったということ。それがとにかく衝撃であり。今に至る道程において、この、レジデントというものがどれだけの重さになるかということをまだその時点では気付かずに、ただひたすらに、ひたちなかという場所を、ジャパンフェスを、DJ BOOTHに来てくれたオーディエンスを如何に喜ばせて、自分も幸を得るということを試行錯誤した。という記念すべき年であったと思います。

では、この年から数年間。今に至るまで。保坂のハイパーアンセムとしてDJ BOOTHを鳴らし続けた楽曲を紹介して、次回に続きます。

2010/07/07

ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2001

今日は七夕ですね。
あ、どうも、保坂壮、彦星です。

実は、数週間前から、このブログにて、書き記していこうと思案していたものがありまして。それもあって、更新が滞って。
それは何かと尋ねられたら。
それは、ROCK IN JAPAN DJ BOOTHを振り返るってこと。
先の日記にも記しましたが、フェス自体は去年が10周年だったけど、私事ですが、今年で10年連続出演ということになりまして、ほんとに光陰矢の如し。10年ですよ。びつくり。というわけで、開催まで、約1ヶ月ということもありまして。開催までに10年を1年ごとに振り返ろうと、そういうことを思案しておりまして。それを始めます。
通常のブログも書きますがね。
よろしくであります。

では。
スタート。

【ROCK IN JAPAN FES DJ BOOTH 2001】

僕が一番最初にDJをRIJFESでやらせていただいたのは、2001年。フェス2年目の年です。皆さんご存じの通り、初年度のRIJFESは、台風がやって来て、途中で中止。その時僕は、実家にいなければならなくて、家で過ごしていたわけで。まあ今となれば、その初年度だけ僕は、参加していなかったということです。はい。
そんでもって、2001年なのですが、このころは未だ、レジデントDJというものが無くて。僕も連日参加するようなことではなくて。でも片平君は既に連日参加していたと思いますが…。そうそう。こちらを見てもらえればわかるけど、まだDJ BOOTHのレポートやら、タイムテーブルやらがオフィシャルのサイトには掲載されていなかったんですよ。それもこれも、DJ BOOTHというものがまだまだ認知されていなくて。ね。だって、こちらのMAPにも掲載されていない…。どこでどのように為されたか。。。。てなかんじ。当日の会場だって、やっつけテントで。タイムテーブルだって、やっつけプリントアウトビラ一枚をはっつけてあったという…。
そんな場所で、僕は、初めての、RIJFESにて、DJをやりました。その模様なんですが、恥ずかしいかな、未だに、「保坂壮彦」ってググってもらうと、出てくる、

「保坂壮彦、怒濤の2時間DJプレイリスト in ROCK IN JAPAN FES.2001」

こちらに僕の日記で詳細に書かれておりますよ。
この文章、まさに、10年前。しかもセットリストも書かれていたり。照明が眩しくて恥ずかしいとか、緊張したとか、なんだかこんだかあれやこれや。今から振り返って言葉にするよりも、この10年前の日記を見てもらえれば、一番わかりやすいかと。

とにかく、人生史上初、あのような場所で、大多数の人の前でDJをやったということが、未だに恥ずかしく、緊張し、手に取るように想い出せます。

懐かしい。
恥ずかしい。

以上!
続きは、2002年を振り返るで!


今日は七夕!

恥も外聞も捨てて、星に願いを!


2010/06/28

10年目の夏。















保坂壮彦
ROCK IN JAPAN FES
DJ BOOTH
10年連続出演決定

光陰矢の如し。

感慨深い想いとともに。
全ての自分を。
出し切ります。

10年前と今の自分に捧げよう。この曲を。

2010/06/25

はじめまして。保坂壮彦です。



どうも、はじめまして。
保坂壮彦です。

もう何ヶ月も前から変えよう変えようとしていたブログですが、ようやく踏ん切りがついて変えました。実は、数ヶ月前からこの場所は用意していて。色々と試行錯誤しながら、チャレンジしていたんですが、どうもこう、踏ん切りがつかず、どうしましょうと。でもこういうのは勢いだからね。おりゃ!って。ようやく第一歩が踏み出せました。

みなさんブックマークやらRSSやらをこちらに変更してください。

携帯からブログを閲覧してくれていた方からすると、ちょっと機能的に満足がいかん!という風に思われてしまうかも知れませんが、許してください。それもこれもあれやこれや試行錯誤して、どうにもこうにも、このブログで、このデザインでやっていきたく、これにした所存です。

右にリストしてあるメニューはほぼ、前の日記と一緒です。リンク先も一緒です。twitterも閲覧出来ます。

なによりも。

一番のお気に入りというか、一押ししたいのは、ブログのトップにどかん!と写真を掲載することにしたことがなによりもな、変更かなと。これで、最近写真を撮ってない自分のケツを叩いて、ことあるごとにこの写真を掲載変更していくことにします。

あー、もう後戻り出来ないっす。

それも人生みたいなもんでね。

橋を叩かずして渡ってみなさい、と。

そんな叱咤激励を言って頂いた、過去の師匠を思い出しました。

スタートですね。

なんでもいいから。
エンドよりも。
スタートが多い方がいいと。

別れより出会いがたくさんある方がいいと。

なんちゃって。


これからもよろしくです!!

あ、そうそう。
次回のsoultoday。
7/23(金)です!

なにかしらまた企画立てますんで!