今年に入ってから。いや。遡れば、自身の作品、『ALL IS LOVE IS ALL』を制作し始めた頃からだろうか。となると、去年の8月くらいからになるのだろうか。それから時間が過ぎて、まさに、今日。『音楽』が、全身全霊に染み渡っているのだ。色んなきっかけがあるにはあるが、これほどまでに『音楽』というものを聴いてきた自分に向き合わされることは無かったかも知れないほど、『音楽』の存在に圧倒されてしまっている自分が今、いるのだ。
それは、何らかの『音楽』を聴き、それに感動して、それに感化されて、『音楽』の素晴らしさに気付かされたという、シンプルなものではない。“何故、僕は、これほどまでに『音楽』を好きになったのか?”。“本物の『音楽』とはこういうことだったのだ”。“どんな行為も、全てが『音楽』から始まるのだ”。などなど。ただ『音楽』が好きだということではなく、ただただ『音楽』の重要性を噛み締めるというモノでも無い。
僕は、今、凄く説明し難いことを言葉にしている。そうわかっていながらも、なんとか言葉に記したく、ブログに書き記している。
一呼吸してみる。
なんとなく、言葉に出来そうだ。
『音楽』。僕は、母の体内にいるときから、きっと何かしらの音楽を聴いていたはずだろうとするならば、40年以上。『音楽』というものを聴き続けているということになる。そんな個人史を、俯瞰することが、今、何故か、今日、出来た、ということらしい。そんな感覚。現在過去未来。そう、現在過去は誰にだって記憶と想い出として蘇る。でも未来はわからないはずなんだけど、未来さえも見据えて、『音楽』を聴くというか、観るという感覚に近い。そんな感じが全身に充満してきている。
人は、色んな種を植えて生き続けている。色んな点を標して生き続けてきている。さらに、明日に向けても、様々な種や点を投げ続けている。それらが、どのような花を咲かせ実になるのか、点が線となったり輪になったりして繋がるのか、わからないけれど。とにかく、今、僕の中で、『音楽』というものの存在全てが、一気になだれ込んで、僕における『音楽』の存在の答えが湧き出てきている感覚なのだ。
“僕にとっての『音楽』の存在とはこういうことだったんだ!”
そんな感覚だろうか。いや。なんか。軽い。もっと重みのある感じ。
“生まれたからには生きてやる意味と、『音楽』が常に側にあり続けた意味が合致した!”
そんな感覚だろうか。うん。多分、そういう感じでもある。けど、まだ、何か違う。
やはり、うまく、言葉に出来ない。
でも、これは、言葉にしなくちゃならない。そうしないと、自分の感情から零れ落ちる場所が、溢れ出す場所が、無い。となると、このエネルギーは、暴発するか、時の流れで薄められてしまいそうで。それは、不健康極まりない。だから、絶対に言葉にする。
『音楽』というものが、なぜこの世に存在し、『音楽』というものになぜ僕が触れ続けているのか。そして、その『音楽』が僕にとってどのようなものなのか。絶対に吐き出さなければならない。そんな思いが、究極的なレベルで駆り立てている。
上手く言葉に出来ないけれど、何故そうなったか?の理由はわかった。俯瞰できて知れた。そう、もしかしたら、僕は、今日をもって、40年以上続けてきた、『音楽』と共に生きて来たことにある種の決別をするような気もする。それは決して逃避でも無いし、諦めでもない。ただ、これからの人生において。僕が生きていく上での『音楽』の在り方を、根底から覆すほどの岐路にいるようだ。それだけは間違いない。
そうとう大げさなことを、つらつらと書いてしまった。にも関わらず、全く持って核心を言葉に出来ないというていたらくなブログというか日記というか文章になってしまった。しかし、明日以降、ここで記したことをスタートとして、なぜこのような感情になったかの理由を、小出し小出しに書き続けようと思う。そうすれば、自分でもどこかの時点で、しかと言葉に出来るような気がするから。
うん。
そうしてみる。
いや。
しなきゃ駄目だ。
うううんん。
したいからするんだ。
言葉にしたいから。するんだ。
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