ほんとうはなんなのか。
そういう問いが、いつも自分にやってくる。
ほんものはなんなのか。
同じように、この問いも、常々、自分にやってくる。
ほんとうも、ほんものも、自分が決めることだってことは知っている。
しかし、見失うことが多々ある。
誰かの声や顔色や情報に振り回されてしまうのだろう。
知っているはずの心や言葉にへばりついた垢のせいで見えなくなっているんだろう。
知っている。
でも、ほんとうと、ほんもののことを、ふとしたときに、考える。
でも、もう、考えるのは、やめようと、決めた。
だって、わかっているんだから。
わかっていることを、忘れてしまって、ほんとうとほんものを探してしまうのだ。
季節は師走。
1年の中でも一番せわしない日々が続く。
だからこそ立ち止まることも必要だけれども。
動き続けることで得れることの方が多いと思う。
だって、すでに、ほんとうもほんものも知っているはずなのだから。
動いて、会って、喋って、とか。
こういう場所で言葉で書いて、とか。
そのフィードバックで、あるはずの、ほんとうとほんものが湧き出てくる。
気づき思い出す。
新たな出会いに、ほんとうとほんものを見つけることも沢山ある。
どうせ、100年もない人生なんだから。
何億年の自然の歴史に比べれば、ちっぽけな期間だしね。
だったらどーでもいーやと思うこともあるだろうが。
逆に、だったら、もったいないじゃん、って思うようにする。
何が出来るかわからないけれど。
ほんとうとほんもの。
それを知り、感じ、掴み、得ること。
それは感動に繋がるし。
ワクワクを歓喜させられるし。
結局は楽しい日々を送れるようになれるんだから。
そんなことをふと思ってみた日曜の夜。
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